2024/03/15

【Japan】切り絵と所沢航空博物館とロケット零戦

東村山駅(東口)の志村けんの像

  3月14日(木)はワイフの友人がウチの猫の切り絵を展示しているというので、東村山を訪れました。

Bee Cafe

 ウチの2匹が切り絵になって東村山のBee cafeで展示中です。

アロンは4,500円

ライラは6,000円

アロンのポーズ

ライラのポーズ

 せっかくなので購入し、近くの所沢航空博物館に移動しました。
 『国産ロケットの父 糸川英夫のイノベーション』で紹介した九七式戦闘機のレプリカが提示されているというニュースを見た記憶があり、レプリカでもいいので、一直線になっている翼が見てみたかったのです。











 どこを探しても九七式戦闘機はなかったので、常設展示物ではなかったようです。


 ジェットエンジンの勉強をしたり、フライトシミュレータに乗ってみました。堀越二郎回顧展があったので、彼の人生を辿っていると意外な発見がありました。


 
 時速900kmのロケット零戦

 零戦が初飛行して3年目の1942年(昭和17年)5月、堀越は三菱の名古屋発動機研究所でのロケットエンジン研究会に参加しています。ロケットとしていますが、酸化剤を積んだ秋水のようなロケットではなく、外気を取り入れるジェットエンジンのようなものだったようです。ただし、1938年(昭和13年)の東京帝国大学中西教授の講義では外気を取り入れて燃焼させるものもロケットに含め解説していました。
 終戦1年前の1944年(8月)、増槽タンクの代わりにロケットを零戦に装着し、過給器や機体強度の問題を別にして、時速925kmの速度性能を試算しています。


 堀越二郎さんは、ジェットエンジン(当時はロケットに含む)を搭載した零戦の速度性能までは試算していたようです。