2008/04/16

【Palestina】パレスチナの水問題とオスロー合意


 第三世界の政治('05)という放送大学の講座を聞く機会がありました。第10回の講義はイスラエルのラビンさんの話ですが、ラビンさんは1994年12月14日に日本に来日されています。そのときに日本経団連で歓迎のパーティーがあり、当時、小さな規模ですが、イスラエルから日本への技術トランスファーや投資のビジネスディベロップメントを行っていた関係から、そのパーティーに参加しました。当時の日本経団連の会長は豊田章一郎さんでした。そのときのラビンさんの話が今でも記憶に残っており、私を悩ます?のですが、ラビンさんは「イスラエルは自分で生きていける。日本はパレスチナをサポートして欲しい」と。政治的に難しい地域ゆえに、経済人の組織である日本経団連でこのような話をしたのか、それは分かりませんが、以前の敵を中立的である日本に何とかして欲しいということを言うために来日したひとりの人間に感動をしてしまったのです。同じテーブルにいた日本イスラエル商工会議所の創立者 藤原宣夫さんも感動していたようです。その後、ラビンさんは不幸にも亡くなりますが、そのメッセージは私の記憶から消え去ることなく、今日に至っています。

 最近、日本のODAがジェリコで農業プロジェクトをイスラエル、ヨルダン、パレスチナ、日本の4カ国プロジェクトとして行っているようですが、砂漠での農業はナバテヤ農法(6-4-7 展望台から)として古くからナバテヤ人の得意なものでした。ナバテヤ人はぺトラに住んでいたアラブ系の人のことですが、ナバテヤ農法の研究はイスラエルのベングリオン大学が進んでいます。ジェリコの農業プロジェクトには批判もあるようですが、農業のための水は井戸からか、ヨルダン川から、あるいはナバテア農法なのか、どのように給水しているのか、そこを自分の目で確認したいので、今年か来年にはジェリコに行きたいと思っています。

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