2010/12/15

【Eating-out】ボルドー・サンテミリオン

        シャトー・マルゴー

        シャトー・ラフィット・ロートシルト

        サンテミリオン・モノリス教会


 先週は遅い夏休みをいただきボルドー、サンテミリオンとワインの産地巡りをしました。6月に母親と同居してから長期旅行は区のショートステイの予約に合わせて行っていますので、①仕事の都合、②ショートステイ、③飛行機、④各種予約の順で旅行計画が決まってきます。で、今年は夏休みが12月になってしまいました。来年はもう少しスムースに行くと思いまが、ショートステイのシステムはありがたいものです。

 やはり、ワイン産地巡りには現地に精通したガイドが必要になります。今回はボルドーにお住まいで、ドラマ神の雫のフランスコーディネーター、漫画にも「どうも、加藤です」と登場した加藤尚孝さん(サイトblogTwitter)にお願いしました。

 最初はシャトーマルゴーに訪問。オーナーが100%株式を持つ会社でオーナーもシャトーに住んでいますが、嗜好品は利益だけでないこだわりが必要な商売なので、株式を多くの人が持ち収益を求める株式会社には合わないのでしょう。写真のセラーには2009年の1級とセカンドのすべてが貯蔵されていますが、2009年は葡萄の大変良い年なので、さぞかしおいしいワインができることでしょう。試飲は2007年のマルゴーとセカンドをいただきました。久しぶりのメドック1級シャトーの味。一般的にワインのシャトーに行くと試飲とともに購入用のワインが並べてありますが、5大シャトーは販売は一切していません。写真は案内してくださったマリーさん。

 続いてシャトー・ラフィット・ロートシルトですが、写真のようにセラーが円形。円形のためにすべての樽が等距離で仕事がやりやすく、年に2回コンサートホール(300名が椅子席で鑑賞可能)としても使われるほど音響が良いそうです。試飲は1995年のラフィット、2杯もいただきました。1995年は15年経過していますが、さらに熟成したらもっとおいしくなりそうです。以前に1961年のラトゥールを購入した際にブショネで、購入した酒屋で交換してもらったのが、1961年のラフィットでした。そのことを案内してくれたエリックさんに話したら1961年は100%カベルネ・ソーヴィニヨンだったそうです。

 なぜかは知りませんが、中国ではラフィットが人気で、ラフィットを飲むのがステータスのようです。おかげで値もつり上がり、まだ樽で熟成中の2009年は1400ユーロ/本の値がついてしまったそうです。中国バブルが崩壊するまでの辛抱かも知れませんが、困ったものです。ここも中国人に人気らしいのですがランシュ・バージュに訪問。メドック地区の格付けはナポレオン時代のもので、その後はシャトー・ムートン・ロートシルトが2級から1級に昇格し、1856年にシャトー・カントメルルが第5級に追加されただけで、後の格付けは不変です。

 翌日は祭日だったので港町のアルカッションまで電車で移動し、生牡蠣をいただきました。フランスの生牡蠣は番号により大きさが違い(No.0~No.5まであり、0番が一番大きくて約150g/個、一番小さい5番は約35g/個)ますが、ここでは2番を選択。夜はボルドーの街に宿泊したので、名物のジロンド川ヤツメウナギのワイン煮をいただきました。

 翌日はサンテミリオンに移動し、クロ・フォルテ、家族経営のラニオットペトリュス一族がオーナーのガデ・サン・ジュリアンを訪問しました。クロ・フォルテもガデ・サン・ジュリアンも地下のCave(セラー)が広く驚いたのですが、サンテミリオンには地下がたくさんあるようです。写真のモノリス教会も自然岩をくり抜き地下に聖堂がありました。

 この地域のワインはメドック地区と違いメルロー主体。隣のポムロールペトリュス(シャトーに日本の鳥居が建っていた!)や一本松のルパン(現在新シャトー建築中)もメルロー主体。泊ったホテルのレストランで飲んだシャトー・パヴィもメルロー主体でタンニンが強くなくやわらかな好みの味でした。

 フランスのワイン産地の旅は「ブルゴーニュ地方」「シャンパーニュ地方」「アルザス地方」と今回の「ボルドー地方」と、だいたい一巡しました。
          

2010/11/04

【Walking/Trekking】三分一湧水(Sanbuichi-Water) 

サントリー白州工場からの八ヶ岳

三分一湧水


    


 11/3日の文化の日に念願だった「三分一湧水」を見学しました。八ヶ岳の裾野にはたくさんの湧水があります。そのひとつに「三分一湧水」がありますが、ひとつの湧水を3つに分け、6つの村でこの水を水田の灌漑に使っています。400年以上前から3つに分割した水を6つの村の3方向の3地域に分配していたそうです。なぜ、3つに分割したのか。八ヶ岳南麓標高1100m付近は湧水が多いのですが、下の台地に水田の灌漑に見合うだけの水量をまかなえる湧水や河川がありません。江戸時代から労力と費用をかけて水路を作り、水を確保してきたのは、このためです。しかし、どれほど労力をかけても、水が水田にたどり着くまでに、途中で水漏れがあったり、他の村に水を取られたりします。そして村同士の争いに、、。米を作る農家にとって水は死活問題なのです。そこでひとつの湧水を3つに分割する「分水池」を作り、池の中央に「水分石」という3角柱の石をおき、水の流れすらも可視化し、公平に分配したのです。「水分石」を少しづつ移動しながら3地域の人たちに納得してもらえる「公平に分配できる位置」に置かれたそうです。そして、「分水池」は皆で交代に水番を決め見回りをしました(エンボケックのホテル用の水源で、砂漠の強烈な暑さの中ベトウィンの人が水番をしていたことを思い出しました)。

三分一湧水動画(「水分石」がよく分かります)

 Webサイトなどで「三分一湧水」は見たことがありますが、この「分水石」には気がつきませんでした。やはり、実際に現地で実物を自分の目で見ないと分からないものです。「三分一湧水」の地主である坂本家は1772年から2002年に長坂町のものになるまで「水元」として管理をしていたそうなので、民間の人が水元だったのです。

 3つのうちのひとつは7メートルの落差で水力発電が行われて電灯などを照らしていますが、今でも農業に使われており、この「システム」は400年以上も機能してきた訳です。

 これには感動しました。
 三角柱の「分水石」の知恵にも驚きです。
 すごいぞ、日本人!

 その後、「三分一湧水記念館」で三分一湧水の水と土からアウトプットされた野菜を買いました。

 そして、武田信玄が長野を攻めるためのルートとして開拓した「棒道」から小淵沢駅まで3時間弱のウォーキング。ついでにサントリーの白州工場で工場見学。

 秋の山梨の澄んだ空気
 三分一湧水の知恵
 雄大な八ヶ岳の風景
 久しぶりのシングルモルト
                 
 感動の休日でした。
                        

2010/11/02

【Eating-out】蕎麦打ち初体験

先週末は福井県のアンテナショップの「福井南青山291」で「ふくいそば打ちコース」にある体験コースに参加しました。蕎麦打ちははじめてですが、水加減がほんの少しで違うことなど、体験しないと分からないことが一杯です。伸ばし方、切り方、それぞれ見ていると簡単そうなのですが、やると難しい。
福井の蕎麦はきしめんのような平たい蕎麦ですが、ここでは普通の二八蕎麦(小麦粉2、蕎麦粉8)を、細く切りました。さっそくいただきましたが、おいしかった。大根おろしと汁をかけて食べるのが福井流とのことで、寒い冬でもこのようにして食べるそうです。
蕎麦打ちは奥の深いものですね。

何事も体験しないと分からないと、つくづく思います。
       

2010/10/25

【Eating-out】岐阜の開化亭

写真はJR岐阜駅の織田信長像


  先週末はワイフの誕生日のお祝いでどこかレストランに行こうと、東京のフレンチのシェフの間で有名な岐阜の開化亭という四川料理の店に行って来ました。一般的にフレンチのシェフはフランスのミシュラン三星レストランで働いていたとか、有名シェフの下で働いていたとかで「箔が付く」ということなのでしょうが、この開化亭は逆に「東京から日本の星付きレストランのシェフが岐阜に食べに行く」ということで有名な店なのです。私たちも「そんなにおいしいのか」という想像をかきたてられて、わざわざ新幹線で岐阜に行ったのでした。

  岐阜には学生時代にアルバイトでお世話になったMさんが住んでおられ、少し早めに岐阜に着き、2時間ほど近況の情報交換。今年で72歳とは思えない頭の冴えようで、ワイフ曰く「話が面白い」とのことで、時間を忘れ話し込んでしまいました。昔話を懐かしむことはもちろんですが、新しい話も一杯で、楽しい時間を過ごさせていただきました。

  開化亭ではコースをいただきましたが、その中に「鮎の春巻き」を入れてもらいました。季節は外れているので落鮎かと思いましたが、初夏から夏場の鮎を利用しているようです。しかも、「和良川の鮎」とのこと。シェフの吉田さんが「郡上市和良村」のご出身だからですが、私は「郡上市白鳥町」出身なので「和良川より長良川の上流の鮎の方がおいしいはず。長良川は河口堰があるけど海からも遡上した本当の天然鮎がいる!」と思いつつ春巻きを口にしました。開化亭の鮎の春巻きを食べた人は口を揃えておいしいと言い、たくさんのblogにその料理法や味が紹介されていますが、本当においしい。ナリサワのオーナーシェフの成澤さんは近所の情報誌に「和良川の鮎は日本の財産だ」と語っていましたが、素材を活かす創造力こそが日本の財産なのかも知れません。その他のフカヒレステーキ、アワビ、鴨、キャビアなどの食材を利用した料理はいずれも素材を引き立てる料理で驚きです。最後に四川料理として坦々麺、ワイフは麻婆豆腐をいただきましたが、これは開化亭よりおいしい店が東京にはいくつかあります。開化亭は四川料理らしからぬ中華というより、中華の調味料を使ったフレンチなのです。これで有名フレンチシェフが岐阜へ訪問する理由が分かりました。
(東京のシェフがパクりそう、、)

  今回は岐阜のホテルはどこも満室で名古屋へ電車で戻り予約していた錦のホテルへチェックインしました。久しぶりの名古屋です。Mさんに紹介していただいた今池のバー「酒肆蘭燈(シュシランタン)」へ。老舗のバーらしく落ち着いた雰囲気。「サイドカー」「グラスホッパー」を注文、氷を丁寧にカットするのが印象的です。バーでは野球の話題が一杯でしたが、中日に何か面倒なことでもあったのでしょうか。

  翌日は岩倉市にひとり住いの息子をレンタカーで訪問。風邪で寝込んでいたらしい。近所の木曽路ですき焼きをたらふく食べ栄養補給。これで風邪も直ることでしょう。

  夕刻には東京に到着「東京→岐阜→名古屋の錦→名古屋の今池→岩倉→東京」と「人と味」をめぐる旅でした。
                 

2010/10/19

【Onsen】秋の草津温泉



週末の15日、16日と家族で草津温泉に行って来ました。2008年11月の初旬に草津白根山にトレッキングに行ったことがありますが、1週間の差で紅葉も終わり、白根山は雪だったことから、今回は3ヶ月ほど前に10月中旬に宿を予約しました。草津温泉全般に言えることですが、バリアフリーの宿はほとんどありません。今回は部屋に温泉風呂があり、簡易ベット用意してくれるということで、望雲を選びましたが、温泉街自体が坂道なので、バリアフリーに対応するという考えが薄いのかも知れません。
しかし、草津温泉のお湯は最高で、この宿は「万代鉱源泉」「西の河原源泉」の2種類が楽しめます。個人的には西の河原の源泉が好きですが、酸性濃度は万代鉱の方が強いようです。前回は共同浴場の「白旗の湯」(源泉 白旗)に入りましたから、今までに「白旗」「西の河原」「万代鉱」の3つの源泉に入ったことになります。その他、現在は利用されていないものも含め「湯畑」「綿の湯」「熱の湯」「ゆりかご橋」「地蔵」「煮川」「湯釜」「香草」「若乃湯」「君子の湯」旅館別源泉一覧PDF】 とあるらしい。

翌日は草津白根山のドライブでしたが、綺麗な紅葉も車中から見ることができました。
いつもはトレッキングついでの温泉が多く、温泉のみの小旅行は久しぶりのことですが、これから年に1,2回はどこかの温泉に家族旅行を行うつもりです。
         

2010/10/13

【Fishing】カワハギから甘鯛へ


先週は3連休だったので久しぶりに海釣りに行こうと、中潮でしたが、天気の良い11日にレンタカーを借りて三浦半島に出かけました。早朝5時に出発し佐島のつね丸という船宿に着いたのが、午前6:30。席取りをしようとすると、カワハギ船はもう満席。佐島の近隣のカワハギ船をあたっていましたが、どこも満席。わざわざレンタカーを2週間前に予約し、朝の4時半に起きて、7時半の出船の1時間前に入ったのに、カワハギ釣りができないなんて、、。こんなことははじめてです。船宿は天候に影響されるので予約制でなく、今まで当日に行けば必ず乗船できていました。3連休で土日は雨、海風も波も高かったので、晴れた月曜日に集中した訳です。船宿の入り口でクーラーボックスを抱え、ワイフと二人で呆然としていると、小声で「今からなら三浦半島の久里浜に行けば、あそこはカワハギの船宿が3件あり、8時出航だから間に合う」と乗船できるおじさんが教えてくれました。その言葉を信じ、カーナビで「久里浜」を設定。20分ほどで到着すると「ペリー記念館」(ペリーは久里浜から上陸した)の看板を見かけました。ゆっくり記念館のことなど考える余裕もなく、道を聞きつつ船宿発見。そのうちのやまてん丸

「カワハギ船 間に合いますか?」
「カワハギは一杯だよ」
「えっ・・・」

久里浜まで来たのに。どこの船宿もカワハギは満杯の様子。やまてん丸のおばさんに「甘鯛なら空きがある」と言われたので、この際、はじめてだけど甘鯛でもやってみるかと挑戦してみました。深さ70メートルに船宿で借りた手動リールでオキアミを落とします。深さ70メートルなのに手動リールなのです。何度も餌を変えたり、確認したりするのも大変。なんとか写真の1匹+小甘鯛を釣り上げ坊主を免れましたが、ワイフは外道のトラギスに好かれ、坊主。帰宅後、甘鯛は刺身でいただきましたが、甘みがあり水分の多い身なので、おそらく干物にすると凝縮されおいしい種類の魚だと思います。甘鯛釣りを行うには電動リールが必要ですが、釣果大量の場合は干物にしてみたいものです。

久しぶりの海釣り、しかもドタバタ、そして手動リールで深場へ、釣果は・・・(笑)。
楽しい休日でした。
              

2010/09/30

【Walking/Trekking】至仏山と萩原朔太郎



 9/25日は尾瀬の至仏山をトレッキングしました。以前に尾瀬でトレッキングを行ったときに尾瀬に2000メートル級の至物山があることを知り、ここはいつかは登頂したいと考えていたところです。数か月前に予定を組んで、頂上で飲む味噌汁のため山用の魔法瓶を買い込み、数週間前から朝のウォーキングで階段を多くしたりして準備していました。ヨーロッパ・アルプスのアルプのように森林限界を超えた山の風景が好きなため、2000メートルを超える山に1年に1度は登りたいと毎年この時期は恒例のトレッキング(昨年は白山)を楽しんでいます。

 天気予報では25日は雨後晴れでしたが、レンタカーとバスを乗り継ぎ鳩待峠に着いたのが9時半頃。登山口は細かい霧で視界はまったくなく、晴れを祈りながら歩きました。小至仏山に差し掛かるあたりから晴れ間が見えて、尾瀬ケ原が一望できたときは感動しました(苦労を重ねて展望が拓けたような気分)。さらに山頂まで岩場を登りましたが、風が強く、吐く息が白くなるほどの寒さです(展望は拓けたが風当たりが強い)。ワイフは馴れない岩場で足がかなりつらそうでしたが、二人で山頂に着いたのは午後1時半ぐらいでした。山頂は360度の眺望で写真のように尾瀬ケ原から新潟の魚沼、福島、栃木の山々が一望できます。おにぎりを1つだけ食べて、小至仏山の裾野のイスのある休憩所まで戻り、そこでゆっくりと味噌汁をいただきました。TVの通り、適度な塩分とビタミンB1で疲れがとれます。鳩待峠に着いたのは午後4時を過ぎていましたが、最終のバスは5時10分まであるので、いつもの岩魚の炉端で熱燗を一杯。ここの岩魚はおいしいのです。えらを取った岩魚を遠火でゆっくりと干すように焼き水分を飛ばすのですがえらがないので頭にも火が通り、そのままかぶりつくと香ばしい。サービスでつく大根、白菜、胡瓜の漬け物も乳酸菌からの酸味が絶妙。この炉端は尾瀬のもうひとつのたのしみです。

 毎回泊まる宿屋は「ふきあげ」というところですが、この宿の弱アルカリの温泉が気持よく、山菜料理が抜群においしいのです。観光地の旅館の料理は山郷でも無理に刺身を出したり、天ぷらが揚げたてでなかったりですが、ここは地のものばかりです。山菜は春に取れたものを塩漬けにしたものですが、料理がおいしい。蕗のきんぴらなど感動しました。作り方を教ったので、日陰のやわらかい蕗が手に入ったら作ってみようと思います。

 翌日は朝食後に宿を後にして、道路わきの朝市で野菜を購入。ナス、胡瓜、カボチャなどですが、野菜本来の味に驚き、とうもろこしの甘味に驚きと、昼と夜の寒暖の激しい尾瀬の野菜はとてつもなくおいしいのです。
帰宅後、すぐになくなってしまい、もっとたくさん買うべきだったと後悔しました。

 レンタカーだったので、ドライブついでに尾瀬から赤城山を超え前橋に入りました。前橋は萩原朔太郎の故郷。そこで前橋文学館を訪問。高校時代に読んだ「月に吠える」などの詩、朔太郎の歴史などが展示してあります。朔太郎は東京では世田谷に住んでいたようですが、近所に芥川龍之介、室生犀星なども住んでいました。当時の世田谷はシリコンバレーのように文化人が集積していたようです。
         

2010/09/16

【Japan】ヴェルニー記念館と柴漁港

 週末の9/12日は群馬郡権田村の小栗上野介忠順の終焉の地を訪れた続きで、横須賀製鉄所の跡地を訪れました。幕末の動乱の最中にレオンス・ヴェルニーさんというフランス人技師がプロジェクトマネジャーで建設されたものです。横須賀駅のすぐ近くにヴェルニー公園ヴェルニー記念館があります。オランダ製の巨大なスチームハンマーが展示されていますが、窓からは海上自衛隊の船や潜水艦が見え、造船や修理を目的にしたヴェルニーさんの意思はそのまま引き継がれているようです。灯台建設や、長崎造船所の建設にも携われたようです。一緒に働いたポール・ブリュナ技師は富岡製糸場を設計し、日本の輸出産業の基礎を築きあげました。

 当時、薩摩からすれば幕府はフランスを、幕府からすれば薩摩はイギリスをと、英仏の対立から日本が分割コロニーになるのではないかと危惧はあったと思いますが、少なくともヴェルニーさんたちの仕事をみると、日本が自前の運営能力を持つまでの水先案内人の使命を全うしています。

 その後、金沢八景でお鮨をいただき、柴漁港の直売所で、ヒラメ、カワハギ、アナゴ、小イカ、まめ鯛を買い込み、ヒラメの半身は刺身、残りはコブ〆で翌日へ、カワハギは刺身を肝醤油で、アナゴ、小イカは天ぷら、まめ鯛は干物と、おいしくいただきました。
          

2010/09/11

【Palestina】サラ・ロイさん

 毎日新聞のエルサレム特派員でアラビア語の勉強仲間が、facebookで紹介されていた「ホロコーストからガザ」へという本を読んでみました。ガザの研究家のサラ・ロイさんの来日公演を中心にガザについてまとめられたものですが、サラさんのご両親がホロコーストからのサバイバーであることから、現在のガザとホロコーストを思考する本となっています。特に印象に残ったのは3点。

 ひとつは、ロイさんがガザでロバをひくパレスチナ人の老人に、その孫のいる前でイスラエル兵士がロバの尻にキスをするように要求し、その光景におし黙り、立ちすくてしまったこと。両親のホロコーストの逸話の数々が思い出されたそうですが、私は2008年にフランクフルトのゲットー記念館に訪れた際に、「猪の尿を飲むユダヤ人の絵」があったことを思い出しました。

 2つめは、イスラエルに住むイスラエル人がガザのことを「知ろうとしない」という事実。情報はいくらでもあるのに。

 3つめは、徐京植さんという在日韓国人の方との対談。日本に住む韓国人、在日の方の歴史とガザ、ホロコーストへの投影。イスラエルの人にとり、「ガザとホロコーストは違う」。日本人にとり、「ガザと在日の方の歴史は違う」と感じるが、結局は「ホロコーストもガザも在日も同じことでは?」と本書は問題提起をしてくれます。

 根本的な問題は「アメリカのユダヤロビー、イスラエルの正統派ユダヤ教徒の政治への影響力の問題」か「正統派ユダヤ教徒の徹底した忠誠の問題」か、「東エルサレムの帰属の問題」か、「人が個人でなく、集団になったときに持つ意思の問題」か、「代替案の問題」か、「インフラの問題」か、「経済の問題」か、これからも思索を続けたいと思います。
               

2010/08/20

【Japan】東京のお盆と花火

一般的に8月15日はお盆ですが、江戸時代から地方出身者が多いため、7月15日に江戸・東京でお盆を済ませ、故郷に帰り8月15日にもお盆を行うという習慣になったようです。今年も8月15日前後のお盆休みの東京は人や車が少なく過ごしやすい街になりました。

お盆前の8月14日は晴海埠頭で「東京湾大華火祭」があり、お盆後の8月19日には神宮球場で「神宮外苑花火大会」がありました。前者は自宅の南側のベランダから六本木ヒルズで遮られ左半分、後者は西側のベランダから青山ザ・タワーに遮られ左半分の花火しか見えませんでしたが、花火は大きな爆発音とともに光り、上空から花火を見る企画でヘリコプターが頭上を旋回。

目を瞑り、ここが東京でなく死海周辺の国々にいると想像すると、花火とヘリコプターの音はまるで戦場です。8月15日は「終戦記念日」と名付けたいう敗戦の日。その日、外苑前に残った建物はNTTだけ、渋谷まで何もかも崩壊し見渡せたと。赤坂も溜池も焼け野原。江戸時代から東京に在るお寺の住職に伺った話です。

1959年生まれの私には戦争体験はありません。体験を語ることができなくとも、私たちの年代だからこそ未来に対して何かできることがあるのではないか、、。

暑い夏ももう少しで一息つけそうです。
      

2010/08/11

【Japan】スイッチのONとOFF

 今週はお盆休みの企業が多く少し暇なので、日本の歴史、特にNHKの龍馬伝で描かれる明治維新について考えてみました。明治維新は社会体制を転換する政権交代だったのでしょうが、現状に不満のある人たちの中で、誰がスイッチをONにしたのでしょうか。「明治体制」←「明治維新」←「大政奉還」←「薩長連合」←「長州討幕へ」←「元治の内乱(功山寺挙兵)」←「松下村塾」という流れの中で活躍した人はたくさんいたと思いますが、松下村塾出身の高杉晋作がクーデターを起こし長州藩の主流を「親幕府から統幕」にひっくり返していないことには明治維新は始まりません(1つの藩に2つの体制があった)。薩摩が単独では何もできなかったと思います。高杉晋作は「たったひとりで挙兵」し、明治維新のスイッチがONとなりました。そして、スイッチをOFFにしたのは大政奉還を行った徳川慶喜でしょう。OFFにせず、政権交代はなく、既存の体制をバージョンアップしようと、徳川慶喜に頼み込み解任された小栗上野介。しかし明治は小栗のグランドデザインを採用、そして製造業立国へ。途中の様々な出来事は自然な流れの中での出来事のように感じますが、最初の高杉晋作のONがなければ何事もはじまらなかった訳です。最初にONをした人は、往々にしてその使命はONをすることであり、物事が達成される前に消えてなくなるものですが、明治維新のスイッチをONにしたのは高杉晋作の「元治の内乱」(功山寺挙兵)、明治体制のスイッチをONにしたのは小栗上野介の「横須賀造船所」でしょう。

 高杉と小栗は面識があったかどうかは知りませんが、たまには日本の歴史を考えてみるのも面白いものですね。
    

2010/08/02

【Eating-out】半夏生鯖がノルウェー産!

週末に財布を買うために久しぶりにソメスサドルに行きました。ソメスは日本で唯一の馬具メーカーで、フランスのエルメスのように革製品を製作・販売しています。海外ブランドのように名前は有名ではありませんが、丁寧な仕上がりなので、カバンなどはソメスのものを利用しています。ソメスに行く途中に福井県のアンテナショップを見つけ、店内を覗いてみることにしました。福井の名物と言えば「焼鯖」とイメージがあるのですが、大野市は7月2日の半夏生(はんげしょう)に焼鯖を食べる習慣があるらしく「半夏生鯖」が売っていました。福井県大野市は故郷の隣村なので、懐かしくさっそく購入。自宅でパッケージを見て驚きですが、鯖の産地が「ノルウェー」。今まで「越前鯖」というと越前(日本海)で取れた鯖とずっと思っていたものが、「ノルウェー産」だったのです。少しショック。日本海では鯖が取れなくなっていたなんて、、。へしこもノルウェー産です。ノルウェー産がおいしいことは確かですが、複雑な気分でした。
        

2010/07/27

【Walking/Trekking】9月のトレッキング(予定)と味噌汁

週末は今年の9月に尾瀬至仏山のトレッキングを予定しており、その準備に渋谷のモンベルに訪れました。トレッキンググッツは見ているだけで飽きないのですが、今回の目的は山頂で味噌汁を飲むための水筒/ボトルを買うことでした。TVネタですが、「驚き!超ラク山登り術 絶景を味わう科学ワザ」によると「みそ汁は、汗をかいて不足しがちな塩分や、エネルギーを作り出すのに欠かせないビタミンB1を多く含むため、山登りにぴったり」とのこと。私たちのトレッキングは何泊もしたり、ピバーグしたりしませんから、調理はしません。その日のうちに帰れる程度の山をゆっくりと登り、温泉に泊まって帰るというソフトなものですが、味噌汁を山頂で飲むと疲れが吹っ飛ぶかも知れないと、温かいお湯を保温できる魔法瓶を探しに行きました。お椀1杯は250mlぐらいですから、500mlのものがあればOK。選んだのは歴史のあるサーモス社の魔法瓶。「山専ボトル」と呼ばれるものです。

尾瀬は2008年5月末に訪ねていますから、予定通りだと2度目の訪問になります。季節の違う尾瀬を至仏山の山頂から眺めたい。まだ予定は確定していませんが。
             

2010/07/23

【Arabic】EDICEFからの手紙

松尾先生から電話があり、フランス語で出版社に出した手紙の返事が来たらしい。電子メールで送ったが、「手紙」で返事が来たのです。しかも、セネガルのNEAの担当の人へのメールの返事がフランスのEDICEFから。このテキストはCopyrightはNEAとEDICEFの両方にあるのでしょうね。その関係も尋ねたので、両方一体ということだと。夏休みの終わる8月末までには何らかの結論がでると思うので、それまではやりとりをしてみて、無理なら次のタイミングのときに別の方法を模索しようかと思います。
         

2010/07/20

【Eating-out】天然鰻と下呂温泉、そしてサボリ


(左の鰻の口に針と糸がついています)



(写真はClickで拡大)

7/16日は休暇をとり、家族で故郷の墓掃除と墓参りに行きました。ついでに長良川の天然鰻を頼んであった(3日前にとれたと電話あり!)ので、白焼きと蒲焼でいただきました。相変わらずのすっきりした脂の鰻で、長良川の清流で何年も育った味です。去年は1kgの鰻でしたが、今年は500gと400gの2匹を3人でいただきましたが、母が鰻をそれほど食べないため、二人はかなり満腹。

レンタカーで下呂温泉まで行き、久しぶりに柔らかい下呂のお湯に浸りました。宿泊3日前に予約したのですが、平日ということもありそれほどの混雑もなく、ゆっくりとできました。今年は新幹線で東京から岐阜羽島、そしてレンタカーでしたが、来年は東京から長野県、レンタカーのコースで長野のどこかの温泉。あるいは東京から飛行機で富山、レンタカーのコースで富山のどこかの温泉と、墓掃除ついでに

「長良川の天然鰻」+「温泉」

のコースを楽しみたいと思います。

結局、7/15日の実践アラビア語講座はサボリました。2回連続です。そして、3回目の7/22日もサボリそうです。
偶然ですが、出版社へのフランスやセネガルの夏休みが終る8末まで授業料は支払ってあり、それまでに、フランス語の手紙の返事がなければ電子出版プロジェクトもこのやり方で進めることは難しくなります。7,8月の授業料2万円は呑み代に使ったと思い、アラビア語の勉強はここで一旦休止し、電子出版プロジェクトは老後の楽しみにしても良いかな、と考えています。やり出せばすぐに終わってしまうような気もしますし、、。
        

2010/07/13

【Arabic】サボリ

7/8日の実践アラビア語講座はサボリました。7/15日はいくつもりでいますが、少しはヤル気が出て欲しい、、。映画「アイガー北壁」を思い出す。

     

2010/07/06

【Arabic】第15課[3]

7/1日の実践アラビア語講座はテキストP116[3]のシャクるを付けて日本語訳を行いました。電子出版プロジェクトの進み具合が遅いため、なかなかヤル気が出ません。アラビア語は自分のために学んでいますが、それと同時に、私のような言葉を学ぶのが苦手な人でも、続けることである程度まで学ぶことができる環境を作り上げたいのです。
                       
 

2010/06/28

【Arabic】第16課[2]とくぼみ動詞の見分け方

6/24日の実践アラビア語講座はテキストP116[2]

غَابَ (i) 休んでいる :バーあ型 

نَامَ  (a) 眠る    :ナーマ型

の2つのくぼみ動詞の「完了形」「未完了形」の活用表を作りました。

くぼみ動詞は、第2語根に「 ا 」があるかどうかで見分けます。

また、「ナーマ型」「カーラ型」「バーあ型」は動詞未完了形の第2語根により判断します。

ナーマ型 (a)←動詞未完了形の第2語根
カーラ型  (u)
バーあ型  (i)

次回は7/1日になります。

ところで、電子出版プロジェクトはなかなか進みません。フランス語と日本語が流暢な人が新しくプロジェクトメンバーに加わるかも知れません。
        
                

2010/06/21

【Arabic】第16課[1]と能動分詞、郡上おどり in 青山

6/17日の実践アラビア語講座はテキストP115の[1]のQ&Aでした。先週に続き能動分詞が分からなかったので、松尾先生に質問しました。

「動詞にダンマのタヌウィーンが付いたら能動分詞」

とのこと。例外もあるかも知れませんが、とりあえず形として分かりやすいので、このように憶えておきます。
月曜日のクラスの進捗スピードが早いためか、火曜日のクラスに追いつきそうで、今度は火曜日のクラスの方々が月曜日に追いつかれないようにペースアップし、木曜日の私に近づいてきたようです。語学はマイペースでしかできないので、追い抜かれても木曜日のクラスでボチボチと勉強しようと思っています(電子出版プロジェクトもありますし)。

6/19、20日と、秩父の宮ラクビー場の駐車場で「郡上おどり in 青山」が開催されました。天気予報では雨でしたが、両日とも梅雨の谷間の晴れ。青山氏の江戸屋敷が南青山にあったことから、毎年、菩提寺の梅窓院で開催されていましたが、手狭で今年から秩父の宮ラクビー場の駐車場での開催になりました。去年と同様に長良川の天然鮎を食べて、簡単な春駒を踊りました。
                       

2010/06/14

【Arabic】3つのくぼみ動詞と能動分詞と 「أَمَّا ・・・ مَ」

6/10日の実践アラビア語講座はテキストP113の文法を学びました。まずは3つのくぼみ動詞ですが、「はじめてのアラビア語」では、

①3つのくぼみ動詞

(1)カーラ型  قَالَ (P154)
(2)ナーマ型  نَامَ (P156)
(3)バーあ型  بَاعَ (P158)


と呼んでいます。
基本アラビア語入門」では、

(1)第2語根が「و」のくぼみ動詞(P77)
(2)第2語根が「و」のくぼみ動詞(P79) (1)のくぼみ動詞と似ているが活用が違う。
(3)第2語根g「ى」のくぼみ動詞(P81)

と呼んでいます。「はじめてのアラビア語」の分類の仕方の方が憶えやすそうです。

②能動分詞

能動分詞については「基本アラビア語」のP51に少し解説してありますが、詳しくないのでインターネットで調べてみると、英語の分詞は

分詞(ぶんし)は準動詞の一種であり、動詞が形容詞としての用法をあわせ持つものである。

で、アラビア語では

「英語の現在分詞を能動分詞」
「英語の過去分詞を受動分詞」

という、とあります。それぞれ形があると思いますので、ここは次回にもう少し詳しく教えていただくことにします。


③「أَمَّا ・・・ مَ」~について言えば

英語の熟語・慣用句のようなもので「~について言えば」は「أَمًّا ・・・  وَ」と使います。


日曜日はおにぎりを持って久し振りに皇居に行って来ました。大手門から江戸城跡の「松の廊下」を過ぎた頃から紫陽花がたくさんあり、心が和みます。たまには都内の森林の中でランチをとるのもいいものですね。
         

2010/06/07

【Arabic】第16課と電子出版と引越し

6/3日の実践アラビア語講座はテキストP112の読みと訳でした。このテキストは30課で構成されているため、折り返し地点を過ぎたところになりました。

電子出版ですが、テキストの出版社に送った手紙の返事がセネガルからありました。このテキストにはフランスのEDICEFとセネガルのNEAという2つ連絡先が記述されており、フランス語の手紙は両方に送りましたが、セネガルの方から返事が来た訳です。とりあえず、EDICEFとNEAの関係、Copyrightはどちらもあるのかなどの基本的な質問を英語で質問しましたが、まだ返事がありません。フランス語で再びメールで質問をしてみる予定です。

また、6/5日は岐阜県から母の引越しでした。古い家を売り払ったので、かなり荷物は整理しましたが、それでも段ボール箱10個あり、生活するためにはある程度の荷物は必要なものですね。今週から3人+猫7匹の大家族で過ごしています。
ベランダ菜園をやる予定なので、夏には採れたてのトマトやキューリが食べれるかな。
ささやかですが、またひとつ楽しみが増えました。
              

2010/05/31

【Walking/Trekking】榛名湖周辺と小栗上野介忠順

 5/29、30は群馬県の榛名湖周辺にトレッキングに行きました。天候が今ひとつでしたが、新緑の中の酸素一杯の山道を歩くと、爽やかな気分になります。天神峠からヤセオネ峠(関東ふれあいの道)までの3、4時間ぐらいコースですが、木の階段が長く厳しく、今日はふくら脛がかなり痛いです。その後、バスで伊香保温泉へ。毎年、この季節は結婚記念日で国内の近場の温泉に行っていますが、今年は茶褐色の源泉かけ流しで有名な岸権旅館に泊まりました。霧が多く眺望は今ひとつでしたが、温泉でトレッキングの疲れが癒されます。

 翌日はバスで高崎まで戻り、レンタカーで小栗上野介忠順群馬郡権田村へ。まずは国道406号線から鳥川(カラスガワ)の岸辺にある小栗処刑の地から、小栗の住居跡に行きました。住居は急な山道を上がり、少し下った坂の中腹にありますが、ひそやかな場所に屋敷の跡地はあります。私学校はここに建設するつもりだったのでしょう。そして、小栗の墓のある東善寺へ。小栗は鳥川の岸辺で処刑され、首級が館林へ運ばれ首実検の後埋められたままになっているのを、中島三左衛門(小栗家族を会津へ助け出した村人)らは奪い返しに行きました。かなり苦労したようですが、1周忌に館林の法輪寺境内から盗み出し、東善寺裏山の胴体と一緒にしました。これを「お首級(くび)迎え」と呼んでいます。小栗は子どもがなかなか授からず、後年に女の子を授かったのですが、養子として又一忠道を迎えました。悲しいことに養子又一忠道も鳥川で小栗とともに処刑され、東善寺の小栗の墓の隣に眠っています。司馬遼太郎が明治の父と呼ぶとか、横須賀造船所を建設したとか、功績は大切なことですが、権田村の村人に偲ばれていることが、何よりすばらしい。苔生した墓には真新しいいくつかの線香の燃え残し、そして展示場には小栗がアメリカから持ち帰った「マイナスネジ」が展示されていました。

 権田村からの小栗の歴史をまとめた「幕末開明の人 小栗上野介」(東善寺刊)が販売されており、当時の権田村の人たちと小栗の関わりをもう少し知りたいと思い購入しました。
                       

2010/05/28

【Arabic】第15課[4]と中だるみ

5/27日の実践アラビア語講座はテキスト第15課[4]のアラビア語作文でした。単語や文法など忘れていたことを指摘され、思い出しつつのアラビア語作文でした。完了形の否定と未完了形の否定を忘れていました。

動詞の完了形の否定には、 مَا をつける
動詞の未完了形の否定には、لَا をつける

過去学んだことをblogに書いているので、「忘れていたこと」を思い出すのですが、でないと新しいことかと思うのかも知れませんね。

少しアラビア語に対する情熱が中だるみしている感じがします。このテキストは全部で30課、今回で15課を終わりますので、半分終わったということになります。切迫感がないと中だるみするものですね。3ヶ月分の授業料を支払ったので、8月末までには中だるみを解消したいものです。

次回は6/3日になります。
          

2010/05/20

【Arabic】実践アラビア語講座1周年、そして再び引越し

昨日は実践アラビア語講座の1周年ということで、過去に参加されていた方を含めて14名の方が代々木のひつじやで、ひつじ料理をいただきました。アラビア語はいくつかの山があり、途中で挫折するは10名のうち7,8名でしょうか。今回の1周年の食事会をきっかけに、再び参加したいと言って帰られた方もいましたのでまた参加者が増えるかも知れません。何はともあれ次は3周年、5周年、10周年と規模が大きくなればいいですね。

ところで、昨年の12月に引越しをしたのですが、再び引越しをしました。昨年は同じ町内の4丁目から2丁目、今回はまた4丁目に引越しです。昨年まで住んでいた4丁目は「谷の底」、今回の4丁目は「丘の上」と、「谷から丘へUターン」し、眺望抜群になりました。今日は購入したテーブルやイスなどが届くので木曜日のアラビア語はお休みし、引越しの後片付けをします。
5/29,30と結婚記念日で伊香保温泉を予約してあるので、それまでには後片付けが完了できればと思っています。

実は、ひとり住まいの母親と同居することになり、昨年引っ越したところでは部屋が足りず、2月ぐらいから再び引越し先を探すことになりました。古いところはバリアフリーでなく、新しいところは家賃が高く、3月の土日はほとんど近所を歩いてマンション巡りとインターネット検索。苦労しましたが、6月の初旬に岐阜県に住む母親の引越しが済めばひと安心です。
      

2010/05/14

【Arabic】第15課[4]とアラム語

5/13日の実践アラビア語講座はテキストP110[4]のシャクルを付けて訳すです。ボチボチと演習をこなしました。電子出版プロジェクトの手紙も松尾先生がフランスに送付されたので、ひとつ仕事が前に進みました。

実践アラビア語教室でアラビア語以外に参考になるのは、アラブの歴史についてを松尾先生から学べる点です。今回はTwitterで「アラム語が生きている!」というTweetが流れていて、以前にシリアでアラム語は話されている村があることを聞いたことがあるので、どの村かを確認しました。松尾先生曰く、ダマスカスから40Kmほど北にあるシリアのマルーラ村でアラム語が今でも話されているそうです。面白い話ですね。

イエスの話したアラム語(シリア正教のサイト)

ちなみにシリア正教聖墳墓教会を管理する5つの宗派のひとつです。
                 

2010/05/07

【Arabic】第15課[3]と電子出版プロジェクトのマーケティング

5/6日の実践アラビア語講座はテキストP110[3]を行いました。シャクルを付けて訳す問題ですが、アラビア語の単語力がないと、時間ばかりかかります。

さて、電子出版プロジェクトでは無事フランス語の手紙も出来たのですが、まだ翻訳契約ができる段階ではないので、今のところは進捗なしというところです。電子書籍を読む端末もiPadが5末には発売ですから、今年中にはいろいろ取り揃うと思います。電子出版で一番難しいのはマーケティングだと思いますが、日本でアラビア語学び始める人は年間で何人ぐらい増えるでしょうか。大学の第2,3外国語を選択した人を含めても100名ぐらいでしょうか。まずは、その人達に電子書籍としての「実践アラビア語入門Ⅰ」の存在を知ってもらう必要があります。AISASのそれぞれをどうするか。紙であれデジタルであれ本は売れなければ意味がないので、これからいろいろな手段を考えたいと思います。
                

2010/04/23

【Arabic】カーナ動詞と電子出版プロジェクト[2010年4月22日]

4/22日の実践アラビア語講座はテキストP110[2]

كَانَ (カーナ)の未完了/完了活用

でした。カーナは不規則動詞のくぼみ動詞と同じ活用ですが、通常の動詞と違い英語の「be動詞」の意味を持ちます。
カーナ動詞についてはナツメ社の「はじめてのアラビア語」P130にbe動詞的使い方、P134に助動詞的使い方、P150に完了形、P151に未完了形の活用がまとめてあります。今回はこの本を改めて読み込んでしまい、演習問題は進みませんでしたが、まとまっていて分かりやすい本だと感心しました。CDも付いていますので、もう少しこの本で復習をしてみることにしました。
次回の実践アラビア語講座は5/6日になります。

さて、電子出版プロジェクトですが、無事4/20日に「フランス語の手紙」ができたので出版社に送ります。古い出版物で、出版社が現存して著者まで届くかは不安ですが、まずはやってみることになりました。おかげで「筋の通ったプロジェクト」としてこのプロジェクトが進められそうです。
松尾先生、ありがとうございました。
             

2010/04/16

【Arabic】第15課[1]と中東関係博物館・図書館[2010年4月15日]

4/15日の実践アラビア語講座はテキストP110のQ&Aの演習[1]でした。このペースだとテキストを完了するのは1,2年後になりそうです。

ところで、実践アラビア語講座の勉強仲間だった新聞記者の方からFacebookでアラビア語とヘブライ語を同時に東エルサレムで勉強していると連絡がありました。最近は紙の新聞が売れず、ビジネスモデルの変換に会社経営はさらされていますが、ジャーナリスト魂は変わるものはないようです。Facebookは海外の人がよく使うコミュニケーションツール(SNS)ですが、アラビア語の勉強仲間もこれを使う人が増えて来ました。ご興味のある方は登録してみてください。

さて、電子出版プロジェクトですが、4/4日までにできるはずの「フランス語の手紙」がなかなかできず4/20日が最終期限となりました。英語の手紙を書けばいいのではという意見もありますが、一番、簡単な方法はフランスにいるビジネスの交渉経験のある信用できるフランス人に、事情を説明し直接コンタクトをしてもらうことです。これがビジネスならば最初からそうします。おそらく1,2週間で返事が来て、交渉後に契約し、フランス語に訳すプロと、DTPを行う人と話し合い、ある程度のダウンペイメントをすれば、すばやくプロジェクトは完了するでしょう。

自分が日本語の学び方の本の著者で、フランスで出版したいからと手紙をもらったときにそれが英語なのと、日本語で丁寧にフランスの日本語教育の事情と、置かれた状況を説明されているものを比較するとどう感じるでしょう。英語より日本語の手紙の方が心象はいいものですし、誠意も伝わりやすいと思います(かと言ってうまく行くとは限りませんが)。

4/20日を超えた場合は、別の方法で電子出版プロジェクトを進めることになると思いますが、できれば間に合って欲しいものです。

アラビア語のテキストに「中東関係博物館・図書館」の一覧メモがありましたので備忘録としてまとめておきます。

・中近東文化センター
 〒181-0015 東京都三鷹市大沢3-10-31
 Tel 0422-32-7111
 http://www.meccj.or.jp/Pages/main_frame.html

・古代オリエント博物館
 東京都豊島区池袋3-1-4 文化会館7階
 Tel 03-3989-3491
 http://www.sa.il24.net/~aom/

・アジア経済研究所図書館
 京葉線 JR海浜幕張駅 徒歩10分
 http://www.ide.go.jp/Japanese/Library/

・アジア・アフリカ図書館
 〒181-0014 東京都三鷹市新川5-14-16
 Tel 0422-44-4640
 http://www.aali.ac.jp/aa-lib/index.html


次回の実践アラビア語講座は4/22日です。

また、実践アラビア語講座のWebサイトが2009年5月17日に立ち上がりましたので、1周年を記念し5/19日に簡単な食事会を開催するそうです。途中で辞められた方も久しぶりなので、ぜひご参加ください。
                        

2010/04/14

【Book】小栗上野介の口癖

 木村直巳の天涯の武士―幕臣小栗上野介という漫画を読んで、非常に面白かったので、記録に残しておきたく感想文をblogに載せます。私が小栗上野介に興味を持ったのは、高校時代に柴田錬三郎のエッセイ(生きざま)で、勝海舟と小栗上野介を比べ、勝海舟は明治まで生き残り自己宣伝書(氷川清話海舟座談)をせっせと書き上げたのに、小栗は最後まで幕臣として筋を通したとあり、そんな人もいるんだと思った程度でした。なぜなら、歴史の教科書に小栗上野介は出てこないから彼の名前すら知らなかったのです。勝てば官軍ということなのでしょうが、小栗のことを知れば知るほど、その先見性に驚かされます。現在の日本の製造業がグローバル競争に関われるベースになった横須賀造船所の建設、横須賀造船所の建設以前に勝海舟と共に渡米しワシントン海軍工廠で「ネジ」を拾い持ち帰っているのです。おそらくマイナスのネジだと思いますが、ネジや金型、鋳造技術は製造業のベーステクノロジーとなります。ちなみに本田宗一郎さんがプラスのネジをイタリア視察で持ち帰ったことで、ネジを締める工程が自動化ができ、日本の製造業の生産性が一気にアップしたと、藤沢武夫さんは語っています(経営に終りはない)。

 その他、小栗上野介は現在の日本の基礎になる多くの計画(反射炉・造船所・火薬製造所・大砲製作所などの建設、後の連合艦隊に通じる主要6港湾に六備連合艦隊構想、洋式軍制、外国馬の導入、鉱山開発、商社や商工会議所、外国語・造船の学校設立、新聞発行、電信事業、横浜~江戸間の鉄道、ガス灯、郵便局、株式簿記、休日・昇進・昇給などの近代雇用体制の構築、酒類等への課税などなど)を用意していました。それは後に明治政府により実行されますが、発想は小栗のものです。

 小栗の性格を表す口癖は、

父母が大病で望みがなくても、もしや治るかと医薬の手当を止めないのが子の心情だ

と、幕臣としての「生きざま」を貫き通した人です。

 今年のNHKドラマは龍馬伝。勝海舟も出演しますが、小栗上野介は出演するでしょうか。
 小栗は日本国の幕臣として筋の通った「生きざま」であったからこそ、勝は自分の立場を「徳川」と「外へ」模索せざるを得なかった(スンナ派シーア派)。
 
 もう一度、日本の未来を見据えた「新時代の横須賀造船所」のようなものを、どこかに作るべきです。

 今年は群馬県高崎市の小栗上野介の墓のある東善寺に訪れるつもりです。
                

2010/04/12

【Movie】映画 「アイガー北壁」 を観た

4/11日は久しぶりに映画館で映画を観ました。ブームの3D映画なども観に行こうかと思ったことがありましたが、手段で客を引き寄せる話題には魅力がありません。今回の「アイガー北壁」という映画は実話をベースにした映画です。当時のヨーロッパでドイツ人が如何に優秀かを「アイガー北壁登攀」で示そうとしたナチスドイツの政治的な意図もあったと思いますが、多くの人が挑戦し、そして失敗をしました。日本でも新田次郎の「アイガー北壁」という実話短編は有名です。アイガー北壁は多くのクライマーの命を飲み込んで来ましたが、その理由は天候の変化のスピードが大きく影響していると思います。2009年の夏休みの最終日のグリンデルワルトは雨、雨が止んだらアイガーは雪景色。朝晴れていると思ったら昼には雲が北壁に浮かんでいます。また、雪すら積もらぬ垂直の壁。エベレストなどの登山と違いクライミングの技術を要する垂直壁です。
ここ数年、アイガー北壁が頭からなかなか離れないのですが、アイガー北壁との関わりを整理してみました。

①2007年の夏休みユングフラウ鉄道クライネ・シャイデック駅からアイガー北壁を眺めて感動。この旅はマッターフォルン周辺のトレッキングが目的で、ついでにユングフランヨッホに行った。

②2009年に再びアイガーへ

③クライネ・シャイデックのホテルベルビュー・デ・ザルブを拠点とするが、このホテルは「映画、アイガー北壁」の舞台でもあり、アイガー北壁に登攀する人の関係者が宿泊する伝統ある山岳ホテル。

④帰国後、初登攀したハラーさんの「白い蜘蛛」を読み、映画「セブンイヤーズチベット」を観る

⑤日本人第2初登攀をしたモンベル辰野会長の講演を聞く。

⑥ハラーさんが家庭教師だったダライ・ラマの講演を聞く。

⑦そして、今回はハラーさんの前に挑戦したドイツのアンドレアス・ヒンターシュトイサーとトニー・クルツと、オーストリアのエディー・ライナーとヴィリー・アンゲラーが挑む「アイガー北壁」を観る。

と、かなり「アイガー北壁」には入れ込んでいます。
今回の映画にもありますが、

「少しの判断ミスが最後まで影響する」

ということを肝に命じて、「アラビア語のアイガー北壁」を登攀したい。
そして、電子書籍プロジェクトを進めれれば幸いです。
                 

2010/04/09

【Arabic】第15課の接続詞とくぼみ動詞と電子出版プロジェクト[2010年4月8日]

4/8日の実践アラビア語講座はテキストP108,109の接続詞の後は主格が目的格になることと、くぼみ動詞を学びました。まずは接続詞の話しから、、とここまで書いてきて「アラビア語 接続詞 目的格」と検索したら自分のこのblogですでに解説してありました。

接続詞の用法」接続詞 لَكِبَّ :ラキンナ、しかし(But)の用法

blogに書き留めておくことは重要だと再視認しました。

動詞の完了と未完了の活用が不規則な不規則動詞とは

 ①2重動詞
 ②第1語根が「 و 」の動詞
 ③ハムザ動詞
 ④くぼみ動詞
 ⑤弱動詞

だけあり、2/28日には②を学びましたが、今回は④のくぼみ動詞を学びました。「基本アラビア語入門」のP77に詳しい解説があります。

くぼみ動詞とは3つあり、

(1)第2語根が「 و 」のくぼみ動詞 
 完了形の活用例:基本アラビア語入門の活用表P150の4番
 未完了の活用例:基本アラビア語入門の活用表P152の4番

(2)第2語根が「 و 」のくぼみ動詞で活用が(1)と違う
 完了形の活用例:基本アラビア語入門の活用表P150の5番
 未完了の活用例:基本アラビア語入門の活用表P152の5番 

(3)第2語根が「 ي 」のくぼみ動詞
 完了形の活用例:基本アラビア語入門の活用表P150の6番
 未完了の活用例:基本アラビア語入門の活用表P152の6番

不規則動詞の活用は慣れるしかなさそうです。

今週の電子出版プロジェクトは、4/4日までできる予定だった出版社へのフランス語の手紙がまだできてきません。松尾先生はフランス語の手紙の書き方の本を買っていましたので、壮大な長期プロジェクトになりそうです(笑)。

ところで、新刊のアラビア語の入門者「はじめてのアラビア語」(ナツメ社)を手にしましたが、今までのアラビア語入門書よりは随分良い本だと思いました。日本ではアラビア語の入門書というと本田孝一さんの「アラビア語の入門」ですが、この本は話しがあちこちに飛ぶのでまとまりがなく、あまりいい入門書ではありません。先のナツメ社の本はそれよりは分かりやすいのですが、演習門題がないのでアラビア語を実践的に身につけれる入門書ではありません。私は今までの復習のために1冊購入しましたが、、。

私はナツメ社のライバル会社である技術評論社でいつもITの書籍を出版していたので、ナツメ社の本よりは分かりやすい、実践的なアラビア語の電子書籍を出版したいと思うのも、因果なものだと感じた次第です。
      
次回は4/15日になります。
      
 

2010/04/05

【Arabic】第15課(後半)と電子出版プロジェクト進捗[2010年4月1日]

4/1日の実践アラビア語講座は第15課後半(テキストP107)の読みと訳でした。電子出版プロジェクトも松尾さんの原稿待ちです。

ところで、アラブ・イスラム学院でアラビア語の勉強仲間だったTさんがカタール大使館を退職され、地方のアメリカ領事館に転職されました。大使館とか領事館勤務というのはどういう仕事かは体験がないので分かりませんが、目的が利益追求などのように数値化できるような明確なものでないので、組織というより上司などに影響されやすい仕事なのかも知れません。領事館での成功を祈っています。         
     

2010/03/26

【Arabic】第15課(前半)と電子出版プロジェクト進捗[2010年3月25日]

3/25日の実践アラビア語講座は第15課テキストP107の読みと日本語訳で、半分程度を行いました。4つの単語・活用などを忘れており、日本語訳が躓きました。

①第12課で学んだ「 بِ   」~を使って
②第12課で学んだ「 مِنْ  」~から(from)
③第14課で学んだ「第1語根が و の動詞の未完了形
④第10課で学んだ「 أَمَامَ  」~の前「in front of」

次回4/2日に後半を仕上げたいと思います。

今週の電子出版プロジェクトの進捗はないのですが、「①フランスの出版元EDICEFから日本語翻訳権を得る。」の交渉のための文書を、松尾先生が4/4日までに仕上げることになりました。こういうことは仕事としてやるとすぐに済むのでしょうが、ボランタリーな段階の進み具合は遅々たるものです。
許可を得ず翻訳・電子出版し、こっそり内々に販売するという手段を考える人もいるようですが、コンテンツを作成する立場の人間は権利に対する意識が低いのは困ります。時間と金が掛かるし、無理かも知れませんが「①フランスの出版元EDICEFから日本語翻訳権を得る。」の手続きは踏まないと、プロジェクトを行う意味がなくなります。
                     

2010/03/19

【Arabic】アラビア語作文(続き)と電子出版プロジェクト進捗[2010年3月18日]

3/18日はテキストP106[6]のアラビア語作文の続きを行いましたが、今回は木曜日のクラスの人たちの貪欲な質問から時間がなかなか取れず、松尾先生にあまり質問ができませんでした。先に進みたいので、次週は第15課に入りたいと思います。

実践アラビア語講座のテキストの日本語化プロジェクトですが、役割が決まりつつあります。

①フランスの出版元EDICEFから日本語翻訳権を得る。
②フランス語を日本語に翻訳する。
③図などを加えてDTPなどで編集する。
④WebサイトにUp(会員サイト)。

①にはある程度のダウンペイメント(印税の先払い)が必要なので交渉がまとまったら、金額にもよりますが、お金を用意しようと考えています。②は松尾先生が行い、③は電子出版の規格が「ePub」と固まってきたので、ePubを出力できる編集ソフト「Sigil」などの日本語版で編集すればうまく行きます。図をどうするかという課題(お絵かきソフトでも可能かな)は残りますが、まずは③を誰が担当するかを固める必要があります。④は

電子出版では著者=出版社=書店になる

なので会員サイトなどなくても問題ありません。
あとはこのプロジェクト推進の「プロジェクトマネジメント」と本を売るための「マーケティング」が必要というところでしょうか。これは私ができるので問題ありません。

現在、実践アラビア語講座を学んでいる人達は購入するかどうか分かりませんが、広く売れることでしょうから、読者から実践アラビア語講座に参加する人も自動的に増えて行きやすくなることでしょう。

電子出版の印税は通常の出版物の印税より印税率が高く、アラビア語という素材はたくさんは売れませんが、長く売れるので、このプロジェクトで汗を流した方の老後の年金の足しぐらいにはなるかも知れません。また、日本語化されれば実践アラビア語講座を教える先生も増えるかも知れません(松尾先生のようにアラブ諸国での生活体験がないと現地を知らない薄ぺらい講師にしかなれませんが)。

①のハードルが超えれれば、正式にプロジェクトはスタートできそうな状況になりました。
                         

2010/03/12

【Arabic】アラビア語の作文と電子出版[2010年3月11日]

3/11日の実践アラビア語講座はテキストP106[6]のアラビア語作文です。前半は木曜日のクラスの人たちの男性/女性数詞の講座に付き合ったので、作文は3つぐらいしかできませんでした。アラビア語の作文は次週に続きます。アラビア語の数字はインド数字で、1,2,3のアラビア数字はアラビア語では使いません。文字伝達の歴史的な流れからでしょうが、呼び名がややこしいですね。

ところで、今日の実践アラビア語講座は机がありませんでした。教室のポルトリブレが「アインシュタインが残した最後の遺産~遥か太古の宇宙を見渡す千里眼重力波望遠鏡~」の展示で、机の上に機械が一杯。pm8:00からはアラビア語で借りているはずなのに、なぜか使うことができません。松尾先生に場所を借りている家賃を払っていなのかと訪ねましたが、払っているそうで、机を使えない連絡をもらったのも、当日の夕刻のようです。こういうのは本当に困ります。先に約束してある方を優先するのが一般常識です。仕方なく展示されている机の空きスペースを使い惨めに勉強しました。来週の水曜日まで展示らしいのですが、月曜日、火曜日の生徒の人たちも怒りませんかねぇ。それまでに改善されることを祈りつつ。

さて、実践アラビア語講座で利用しているテキストを「オープンシステム」として日本語化するプロジェクトに朗報です。2010年は電子出版元年で、著者が編集者であり、出版社になれる仕組みが続々と登場します。もう権威主義の出版社を相手にしなくてもいいのです。この実践アラビア語講座に参加する人でボランティア精神のある人に声を掛けて、参加していただけるならプロジェクトを開始したいと思います。
                        

2010/03/05

【Arabic】第14課[5] [2010年3月4日]

3/4日の実践アラビア語講座はテキストP105[5]のシャクルを付けて訳を行う演習を行いました。一部、接尾人称代名詞を忘れていましたが、時間を掛け、たまに松尾先生に質問ができれば、この手の問題は苦痛なく進められるようになりました。2009年の9月頃は「シャクルを付けて訳す問題」はアイガー北壁の白い蜘蛛のように困難なものでしたが、馴れは大切です。継続していないと馴れないので、やはり一定期間は続けることが肝心ですね。

いつもランチは健康のため手作りの弁当を会社で食べるのですが、たまたま飯倉に昼時に用事があり、ついでにうなぎの名店 野田岩でランチを頂きました。野田岩のうなぎを食べるのは何年ぶりでしょうか。東京で最高峰と呼ばれる鰻重ですが、どうも以前ほどおいしくないのです。以前と言うのは「長良川の天然うなぎ」を食べてから、他で食べるうなぎが今ひとつ冴えない。予測はしていましたが、野田岩のうなぎですら、冴えないのです。
素材の持つパワーには職人技も敵わないということでしょうか。
        

2010/02/26

【Arabic】忘れていた未完了動詞の未来強調[2010年2月25日]

2/25日の実践アラビア語講座はテキストP105[4]の訳とシャクルを付けるでしたが、未完了の未来強調を忘れて、用語集にアラビア語の意味がなく、探すのに時間を費やしてしまった。
次週は3/4日になります。

ところで、この実践アラビア語教室には、メディア関係の方(新聞記者、TV報道関係者、写真家など)もアラブ諸国に取材に行く前にアラビア語を実践するため参加することがあり、雑談でアラブ諸国の実際の状況などがリアルに分かることがあります。例えば、報道写真を撮っているGTさんのblogによると、「ビリン村の分離壁建設ルートが一部変更」となったそうです。ガンジーのような完全な非暴力が貫き通されて、世界のメディア、あるいは個人のTwitter/blogなどで適切な報道を行い続けれると、この問題も少しは緩和されるのではないでしょうか。特にメディアが経営的に元気がなく、さらに政治に影響されやすく、井戸端会議的話題に紙面を取られ(日本の場合)ている場合はTwitter/blogは有効な手段となると思います。
                  

2010/02/22

【Eating-out】ジビエを食べにシェ・ピエールへ

ジビエの季節があと2週間ぐらいで終わるので、金曜日にワイフと二人で乃木坂のシェ・ピエールに行ってきました。フレンチはル・ブルギニオン以来ですから、4ヶ月ぶりぐらい。前菜は的矢の生牡蠣とオニオンスープ、鶉と青首鴨をメインでジビエを楽しみました。この店の客層が年配の方が多いので、私たちにはリラックスできる静かな空間です。ゆっくりと外苑西通りを眺めながら食事ができます。乃木神社の裏に位置しますから、場所的にはあまり人通りがないところで、よくこの場所に店を構えたなと思います。隣にはイタリアンで有名なリストランテ山﨑があります。10年ほど前に有名なイタリアン・リストランテとは知らず、フラッと入店しパスタだけ食べて帰ったことがあります。思い出すと苦笑ものです。
今年のジビエももう終りですね。
      

2010/02/19

【Arabic】不規則動詞 第1語根が「و 」の動詞[2010年2月18日]

2/18日の実践アラビア語講座はテキストP105[3]で動詞の完了、未完了の3人称(男/女)、2人称(男/女)、1人称の活用表を作成しました。今回は動詞の

「第1語根が و の動詞 (i) وَجَدَ  (見つける)」

の活用形です。

・完了形は通常の活用表通り(基本アラビア語入門 P38)
・未完了形は「不規則動詞の活用」になります。

 不規則動詞とは、
 ①2重動詞
 ②第1語根が「 و 」の動詞
 ③ハムザ動詞
 ④くぼみ動詞
 ⑤弱動詞
 とあります。今回は、②のみを学びました。

 「基本アラビア語入門」P68に、その活用例が別の動詞で掲載されているので、それを参考に活用形を作ります。この基本アラビア語入門には動詞の活用形が、動詞の形に合わせて、P149から付録として一覧されており、大変便利です。次回は2/25日になります。

 ところで、中東で働く人はいろいろいますが、例えば、プラントエンジニアのような人はプラントに対する技術がありアラビア語が話せればベストですが、そうでなくても仕事はできますし、プラントが完成し、日本に帰って来ても仕事があります。金融関係の人も同じように金融の知識や経験があるので、日本に帰って来ても仕事があります。しかし、アラビア語の通訳とか、アラビア語の知識があるが故に中東で働いていた人は、日本に帰ってきたら、大学の先生とか、アラビア語を教えるとか、アラビア語そのものの周辺の仕事が選択できる範囲になります。現在の日本のそのフィールドは狭く、限られたものです。人のサステナビリティーとしての「ひとつの道」として「オープンシステム」になることも、そろそろ考えはじめる時期ではないでしょうか。
           

2010/02/12

【DeadSea】中間技術の島 [ Intermediate Technology ]

 学生時代に「システム工学」(科学、建築・土木、電気・電子、IT・マーケティングなど、異なる専門家をまとめ目的を遂行する工学)に触れ、自分にはシステム工学が合うのではないかとその道を選んだのですが、1983年にソフト会社をある人と設立し、四半世紀以上IT業界に身を置くことになりました。この仕事をしていると絶えず新しい技術とか製品に触れることが多くなりますが、IT製品は本当に進化し、人に役に立つのか、と疑問を抱くことが多々あります。例えば、身近な例では、日本語ワープロの「一太郎」(MS-OS版)の方が、現在のMS-Wordより使い易すかったり、WindowsはバージョンがUpすればするほど起動時間がかかったり、PCはいつまで経っても急にDownしたり、Stopしたり。言い出したらキリがないのですが、IT業界に長く関与したからか、新しい技術・製品などに疑問を持つことが普通になってしまいました。

 そんなときにひとつの論文に出会った(1999年頃)のです。その論文は向上拡美さんの「hazama technoshere 1992.9 Intermediate Technology Base」、日本語では「中間技術の島」というものです。この論文は私の頭の中のモヤモヤを解消してくれ、将来、晩年にIT業界から離れることがあったとしたら、システム工学屋としての次の道標を示してくれるものかも知れないと思ったのです。
(「島」=「死海」)

【技術がたどるべき道】

・生命連鎖を介したよりよい生き残り
 地球の生態系は、太陽エネルギー、水圏、地圏、生命圏の連鎖から成り立っている。人間の生産・消費活動は、そうした生態連鎖を形づくっている自然の中から、利用可能な要素を資源として取り出すことによって営まれてきた。しかし、地球規模に拡大した今日の文明は、予想を超えた速度で生態系を変容させようとしている。
 例えば、工業製品は地下資源を利用することで成立しているが、地下資源はきわめて長い時間を経て、ゆるやかに水陸の生態に関与してきた。その資源が大量に掘り出され始めたことで、沿岸域などにかってない規模の影響が現れている。
 人間も生態連鎖を通してしか生存できない。生態系の変容は人間の存在をも脅かそうとしている。人間は当分の間、地球上の生態系の変容速度を過去と同じ程度に落ち着かせ、生態連鎖を介したよりよい生き残りのために、すなわち世界が模索している「接続可能な発展・生産」の実現に向けて多くの知恵を集めなければならないだろう。

・新しい生産と消費のシステム
 地球環境問題を解決するキーワードのひとつに、モノに対する欲望を抑制するライフスタイルの転換がある。しかし、モノをつくりモノを使うことは人間の歴史そのものであり、それによって人間は人間らしい生活を送ってきた。モノは人間のほぼすべての社会活動、文化的価値と結びついている。モノを介さない生活の豊かさを創造することは難しい。考えるべくは、モノの否定ではなく、よりよいモノをつくることであり、生態連鎖に打撃を与えない生産と利用のシステムをつくり上げることである。
 例えば、人間がすでに手に入れた資源を徹底的に循環させる方向や技術に市場が向かっていくならば、いかに高度な工業生産が行われようとも、汚染は防止され、資源は保護され、なおかつ新たな市場が開拓され、経済をゆるやかに発展させていくことが可能となるだろう。さらに、よいモノに囲まれ、生きた自然と接触することは、失われつつある五感をとりもどし、人間の活性度を高めて行くことにつながる。地球環境問題は人間がそのような「精神の拡張」に向かう機会を与えているのかもしれない。
 本稿はこのような視点から、技術がたどるべき道を、建設業に籍を置く一技術者による試論の形で述べたものである。本試論では「中間技術」という概念をキーワードにしている。そして、世界の抱える問題と課題、それらの解決に必要な「中間技術」を発見し、体系化し、普及させる場として「中間技術の島」を提案した。

【シュマッハーの中間技術】

・土着と先進の中間に位置する技術
 中間技術とは、ドイツの経済思想家のE.F.シュマッハーが提唱したintermediate technologyの訳である。シュマッハーの中間技術とは、土着技術と先進技術の中間に位置する途上国型の技術体系、すなわちクワとトラクターの「中間的なもの」を指し、それは土着技術よりも生産性が高く、現代技術よりも安上がりで、市場変化にも対応しやすく、訓練も容易な技術であり、そのために、簡素な組織で、地場でも容易に事業の立ち上げが可能とされている。
 さらにシュマッハーによれば、中間技術の開発は、前科学的だと捨てられてきた伝統技術の開拓と改良、最新技術の改造と地場への適合、自力によるまったく新しい技術の創出から成り、求められるべきは、旧ソビエトからアフリカに援助されたいわゆる「除雪機つきの強力な大型トラクター」ではなく、「人力・畜力利用の農機具カタログ」を配布することである。
 例えば、豊田佐吉の動力織機は「木鉄混合」で作られている。これがシュマッハーの言う中間技術に該当し、こうした段階を経た技術改良の積み重ねによる発展進歩は、日本を象徴するものであるとも言われている。

・身の丈にあったテクノロジー
 シュマッハーが中間技術を提唱する根拠は、それが現代産業主義の諸問題を解決する技術体系だからである。シュマッハーによれば、現代産業主義は①脱技能化に起因する複雑さ、②欲求、羨望、金銭欲に対する刺激への依存(負のデモンストレーション効果)、③労働の内容・尊厳の破壊性、④大きい組織体からくる権威主義、⑤資本集約化、⑥自然と人間に対する暴力性、といった問題を抱えており、南が北(シュマッハーによれば西)の誤りを繰り返すことなく発展するためには、わずかな資本で、人間の基本的な欲求を満たし、なお環境に対し非暴力的な身の丈にあった新たなテクノロジー、すなわち中間技術が必要であると主張した。
 中間技術は地場の材料を用い、地場を消費市場とすることで展開し、そのためには、それらに見合った様式をもつ都市が必要である。例えば、シュマッハーの影響を受けたグループは、「生物地域主義」を提唱している。この「生物地域主義」はシュレディンガーの言うところの、低エントロピー資源の取り込み条件を成立するものである。

・シュマッハーの時代と現在
 シュマッハーの描いた世界は、従来の経済とは異質の原則に基づく多元的経済である。すなわち、先進国側から技術や製品が販売(exhaust)されるだけでなく、受け入れ側の途上国で地域に合致した機能が長く発揮できるように、技術や製品の組み直し(renewing)と消費が行われることを目指している。そして、シュマッハーは、地球全体の相互依存関係が重視され、人間の創造力、自己規制力、自律性が発揮されて自然との調和が進めば、生産に余力が生まれ、大きな成長の可能性があることを示した。しかし、現実はシュマッハーの考えをはるかに超えた速度で変化している。
 例えば、シュマッハーの中間技術は、先進と途上の間に入り込んで、途上における問題を段階的に解決する視点をモツが、それが解決された後の課題については開放的な楽観論で終わっている。しかし、「木鉄混合」の自動織機には始まる日本の工業製品はすでに「地場」をはるかに超えて世界を席巻している。その日本をNIES、ASEANが追随している。そこでも土着の力による技術進歩が認められるが、いずれの国の工業化も徹底した輸出指向に支えられたものとなっている。
 また「生物地域主義」は、周囲に低エントロピー資源を置くことによって、生活および生産の場が保たてるとする素朴かつ循環的な考えであって、発達した社会では成立が難しく、ごく初期の途上国にした適用できない。例えば、生態系の最小規模について調査したラブジョイの報告によれば、自然保存には最低2000k㎡のエリアが必要であり、それから考えると、すでに生物地域主義は崩壊しているということになる。さらにラブロックの自然淘汰シュミレーションモデルは、地球環境が最悪のシナリオに導かれるまでに、さほどの時間がないことを示している。

【家政学的技術主義に基づく中間技術】

・多くの対立項の抽出による概念の拡張
 本試論では、シュマッハーの思想に依拠しつつ、中間技術の意味、概念を拡張することによって、将来にわたる展開の可能性を検討し、新たな可能性としての「中間技術」を「家政学的技術主義に基づく中間技術」と名づけ、「接続可能な発展・生産」の実現を目指すものとした。
 すでに述べたように、シュマッハーの中間技術は土着と先進の中間に位置する技術体系を指すが、本試論では、土着と先進(南と西)という対立項だけでなく、南と北はもとより、東と西(アジアとヨーロッパ)、経済と文化、生産と自然(利便と環境保全・資源保護)、さらに民族や宗教、生活基盤の違いなど、さまざまな問題に対して拡張する。
 そして、それらの中間、あるいは両者に共通な基盤に、「接続可能な発展・生産」を実現するための、モノの生産・消費に関わる技術的な解決策が存在すると考える。この解決策が中間技術に他ならない。

【「中間技術の島」の概念】

・多様な「島」の概念
 このような「中間技術」を発見的に見いだし、体系化する基地が「中間技術の島」である。「中間技術」を見いだし、体系化する場がなぜ「島」でなければならないのだろうか。
 例えばIMS(Intelligent Manufacturing System)国際共同研究プログラムでは、工業生産においてインターフェースがとれないなどの理由で自動化が及んでいない工程を「自動化の孤島」と呼び、その解消を課題として技術の標準化に取り組んでいる。「自動化の孤島」は、解決すべき課題を「島」と呼ぶことによって問題の所在を明らかにしている。「中間技術」を見いだし、体系化する第一歩は、対立項の中間にある空白領域、すなわち「島」を発見し、認識することに他ならない。また生物地理学の分野には、場の大きさに反比例して生物種が減少する「島効果」という概念がある。
 「島」には何か象徴的な意味と響きがあるように思われる。そうしたさまざまな「島」を思い描いてみることは、「中間技術」を模索するためにきわめて有効である。シュマッハーは南や東に視点を置いたが、本誌論では事物の中間、すなわち中立的な位置 --「島」に自らを置き、世界のさまざまな問題を考える。

【「中間技術の島」役割】

・問題・課題の発見
 以上のような概念を持つ「中間技術の島」では、一体どのような活動が展開されるのだろうか。第一に必要な作業は、「中間技術」を誘導する前段階として、問題・課題を発見・予測しておくことである。問題の予測とは、あらゆる「壁」の崩壊に備えて、あらかじめ準備しておくことである。まず、現状を体系として把握するために、異なる体系をできるだけ多く並べて、そこからさまざまな対立項を抽出する。
 例えば、南アフリカにおいては、発電用のダム建設によって、それまで営まれてきた巧みな氾濫農業が壊滅的な打撃を受けていることが報告されている。アスワンハイダムをはじめ、これまでアフリカの水資源開発や治水事業は多くの成果を生みながら、一方で数々の問題を残してきた。こうした事例では開発のスケールが大きいだけに、一部でも配慮に欠けるとその影響は計り知れないものがある。
 氾濫農業を支えてきた体系、伝統的な水管理の体系、他地域で成功した近代的な水管理などの体系図が描けれれば、より多くの場面で問題をより少なくしうる技術的な課題が明示され、新たなダムに関する研究や「中間技術」の必要性が事前に認識されたはずである。

・解決の方向・座標の見通し
 複雑な体系図がかかれ、いくつかの基本的な対立項によって問題・課題が発見されると、次にそこに求められる解決の方向と座標が明示される。この作業は新たな体系図を作成する動機づけになる。
 この新たな体系図の作成は、対立項の一方を他の一方に同化、あるいは従属させるのではなく、両方の矛盾に解決のヒントを見いだすことを目的としている。もちろん地域による選択性を残しておくことも重要である。そのために例えばメンデレーフの周期律表のように、各体系を構成している要素間の重複、干渉、空白領域を明示していく作業が必要になる。
 この未完成の体系図は、原則として常に公開される。「中間技術の島」に参加する団体・個人は、誰でも体系化に参加し、新たな発見を加えることができる。しかも、一定の作法を守ることによって、いつでも体系を持ち帰り、企業活動に活かすことができる。

・「シンボリックアナリシス」から「中間技術」へ
 以上述べてきた一連の作業を、本試論では「シンボリックアナリシス」と呼ぶ。この作業を進めるには、社会科学系と自然科学系の科学者や技術者がシンボリックアナリシスとして参加することが必要である。そうでなければ、複数の体系図や新たな体系図を描くことはできない。また、見解の相違やいまだ未解決の部分をその都度明らかにし、世界の研究課題を示すことも、シンボリックアナリシスの役割である。
 さて、問題が発見され、解決の方向と座標が明示されたならば、次は複数の解決策、すなわち「中間技術」を発見する作業と、それらを体系化する作業が必要となる。
 ここまでが「中間技術の島」の主要な役割で、これらの一連の作業は選択の幅を広げ、技術を深化させるために、「中間技術の島」で、何ものにもとらわれない研究と議論の中で行われることが望ましい。
 各国の利用者は、必要な期間にとどまって「中間技術」の体系化に加わり、「中間技術」を各国・地域に持ち帰る。「中間技術」は地域社会の特性に見合って翻訳され、土着の技術体系、固有の文化で味付けされ、具体的な生産活動へと結びつけられる。この過程は通常の技術移転のように見えるが、この技術は必ずしもてく低の地域が保有してきたものではない。あくまで「中間技術の島」で世界の問題が展望され、地球環境時代にふさわしい技術として体系的に取り組みうるものに限られている。

・島への参加
 「中間技術」の体系、そして「中間技術の島」は地域社会での生産を可能にし、地域市場を活性化させ、地域の「接続可能な発展・生産」を可能にするものである。
 「中間技術の島」に先進国の民間企業が参加する意味はどこにあるのであろう。情報公開の原則は知的所有権が絡んでくるし、企業秘密やノウハウは確かに多くの付加価値を生んできた。しかし近い将来、環境保全や地域ニーズに応え続けていくことが、一企業の限界を超えることも予想される。一方で、多国籍企業や地場産業に蓄積された企業力とノウハウなしに「中間技術」の発見や体系化は困難である。
 こういった意味から「中間技術の島」は民間企業の参画を求めることになるだろう。同時にそれは、企業が存続していくための条件にもなるうると考えれる。グローバル企業としては、今後も現地生産による安い労働力の確保、地域社会への参入などが直接の動機づけになるだろう。しかし、企業の枠組みそのものが「地球環境時代」に即した形に変質する過程では「中間技術の島」を必要とするのではないだろうか。

出典:hazama technoshere 1992.9
Intermediate Technology Base より抜粋
                   

2010/02/08

【Spain】ピカソと鳩


 2月3,4,5,6とスペインのアンダルシア地方に行ってきました。4,5日は仕事でマルベーラという高級リゾート地のホテルでしたが、3日はマラガのピカソの生家とピカソ博物館、6日はミハスへと、仕事を挟んで時間のあるときに観光をしました。マルベーラはイギリス人の金持ちとアラブの王族などの保養地で、バブリーな建物が一杯です。スペインの失業率は20%に近づき、25歳以下の若者は43.8%(2009年11月)に達していますが、まだまだ保養地には人が一杯です。遠くに北アフリカの陸地が霞んで見え、冬でも20℃と暖かさから、寒いイギリスにとっては冬の保養地として、投資対象だったのでしょう。

 マラガのピカソの生家は小さな美術館になっており、ピカソの陶器や絵が飾られていましたが、1枚だけピカソの父親の絵が飾ってありました。ピカソの父親は画家だったようですが、子供のころに書いたピカソの書いた絵を見て、自分には才能がないと画家を辞めてしまいました。その父の絵は「鳩の絵」。写実画ですが、リアルな鳩で今にも動き出しそうです。ピカソの鳩好きは有名ですが、自宅の前の公園にも鳩が一杯。ピカソと画家の父、そして鳩。

 その後にピカソ美術館に行き、家族が保存していたピカソの絵や陶器などを観ましたが、「Mother and child」(1921-1922)という作品の前で思わず立ち止まってしまいました。この絵は女性とその子供絵ですが、母の顔の半分が父に観えるのです。右手は母、左手は父の手で、二人の手に子どもが抱かれているように観える。これには感動しました。実際の絵の大きさや筆のタッチからでないと想像できませんが、芸術とはこういうものなのかと、、。見学後に最後にもう一度観ても、同じ感動です。ピカソはアトリエには妻さえ入れなかったようですが、鳩は特別に入れていたようです。そしてこの「Mother and child」の構図。この2つのことが繋がり、魂が感動してしまったのです。今回の旅は出張でしたが、仕事は別にしてピカソの心に触れ、本当に良かった。

 最終日にはミハスの白い町並みを見学し、マラガ飛行場で帰国しました。

2010/02/01

【Arabic】第14課 動詞活用形、マラガへ[2010年1月28日]

1/28日の実践アラビア語口座はテキストP105[2]の動詞の活用形(未完了、完了形)を行いました。遅々たる進み具合でなさけない。

明日(2/2)からスペインのマラガに出張ですが、マラガはピカソの生誕地で、代表的なピカソ美術館(アンティーブ、パリ、バルセロナ、マラガなど)のひとつがあります。また、オスマントルコがアフリカからジブラルタル海峡を渡り、ヨーロッパに進行した入り口付近なので、アラブ文化が多く残っているようです。久しぶりにおいしい中東料理も食べれそうです。
         

2010/01/25

【Eating-out】すし匠 まさ

金曜日は久しぶりの寿司。リーマンショック以後は高めのお店(とはいえ、ひとり2万円以上というのが高めの感覚)に行くことは少なくなりました。特に給与が減ったわけでもないのに、気分的に高そうな店は控えてしまいます。金曜日は特に理由がないのですが、久しぶりに高そうな寿司屋へ。西麻布にある「すし匠 まさ」は「すし匠の系列でNo1」と言う人もいるぐらいの店で、3回目の来訪でした。あまり詳しく知りませんが、「九兵衛の系列」とか「すし匠の系列」とか、修行した店の出ところでそう呼ばれるようです。

「すし匠 まさ」は手間の掛かった仕事を行う店で、素材そのままというより、「炙り」「昆布シメ」「西京味噌漬け」などで、魚をおいしくいただけます。ただ、海釣りを憶えてから、釣りたての魚の刺身、釣りたての魚を味噌漬けや干物にして食べる習慣がついてから、素材そのものの持つおいしさを舌が憶えてしまったのです。これはある意味不幸です。「すし匠 まさ」の手間の掛かったおいしい寿司ネタもいいのですが、素材のおいしさでも味わいたいと思ってしまうのです。もちろん、手間の掛かった、例えば、カラスミの西京漬けなどは絶品で、言葉も出ない程の味わいなのですが、、。
         

2010/01/22

【Arabic】第14課 Q&Aの演習とTwitter [2010年1月21日]

1/21日の実践アラビア語講座はテキストP105[1]で第14課のQ&Aを行いました。単語を忘れていくので、いちいち意味を確認しながらの勉強。馴れたとは言え、情けないぐらいペースが遅い。

ところでTwitterをやっていますが、予想以上に面白い。いろいろな情報が入って来るので、そのたびに刺激が脳に与えられて、時には化学反応をおこします。フォロワーと呼ばれるつながりがたくさんできると、さらに有意義になると思いますが、Twitterをやりながら思い出すのは「佐藤レオさん」。彼にはTwitterが良く似合ったかも知れないと、、。どんな形であれ、人とのつながりは大切なものです。今はフォロワーの数も少ないのですが、ある程度の数になったらこのblogとリンクしたいと考えています。

http://twitter.com/itanakafw

次回は1/28です。
              
        

2010/01/15

【Arabic】動詞の形[2010年1月14日]

1/14の実践アラビア語講座はテキスト103の読みとアラビア語訳と、第14課の文法を学びました。アラビア語は動詞は3文字で構成されますが、「ファトハ」「カスラ」「ダンマ」記号が、


「ファトハ」「ファトハ」「ファトハ」の形

「ファトハ」「カスラ」「ファトハ」の形

「ファトハ」「ダンマ」「ファトハ」の形

とあったり、先頭に

و

がつく動詞は未完了では省略されたり、

ي

がつく場合は「すでに」を意味するなどの規則性があります。
それぞれに名前があるとわかりやすいのですが、動詞の形と言われてもピンとこないものです。

次回は1/21です。
                 

2010/01/12

【Arabic】第14課[2010年1月7日]

1/7日の実践アラビア語講座はテキストP102の第14課の読みと和訳です。3/4ほど和訳は終わりましたが、少し残ってしまいました。次週には終わらせ、14課の演習問題に移りたいと思います。

次回は1/14日です。

2010/01/05

【Walking/Trekking】不易流行

今年の正月は自宅でゆっくりしていただけでしたが、引越しの際に読まなくなった本がたくさんあったのでAmazonのマーケットプレイスに50冊ほど出品しました。一品一品値を付けていくのですが、ビジネス書の類はほとんど最低入札価格の1円。言語や料理関係の本は千円代と、華々しいブームになったビジネスの世界の本よりも、人間の根源や生活に根ざした「話す」「食べる」などの本の方が長く必要とされるからでしょう。
現在の仕事であるIT業界の技術書などは1年も経つと1円の価値もない。
松尾芭蕉のいう「不易流行」ですと、私の場合は学生時代から身近なものとしての「システム工学」が基礎として不易な部分で、今の仕事は1983年から携わっている「IT」が流行ということになりますが、その部分が「死海の環境」に変化できるかどうか、、。

今日から仕事はじめ、今朝のスロージョギングも気持ちよく、2010年が健康で過ごせますように。