2010/09/30

【Walking/Trekking】至仏山と萩原朔太郎



 9/25日は尾瀬の至仏山をトレッキングしました。以前に尾瀬でトレッキングを行ったときに尾瀬に2000メートル級の至物山があることを知り、ここはいつかは登頂したいと考えていたところです。数か月前に予定を組んで、頂上で飲む味噌汁のため山用の魔法瓶を買い込み、数週間前から朝のウォーキングで階段を多くしたりして準備していました。ヨーロッパ・アルプスのアルプのように森林限界を超えた山の風景が好きなため、2000メートルを超える山に1年に1度は登りたいと毎年この時期は恒例のトレッキング(昨年は白山)を楽しんでいます。

 天気予報では25日は雨後晴れでしたが、レンタカーとバスを乗り継ぎ鳩待峠に着いたのが9時半頃。登山口は細かい霧で視界はまったくなく、晴れを祈りながら歩きました。小至仏山に差し掛かるあたりから晴れ間が見えて、尾瀬ケ原が一望できたときは感動しました(苦労を重ねて展望が拓けたような気分)。さらに山頂まで岩場を登りましたが、風が強く、吐く息が白くなるほどの寒さです(展望は拓けたが風当たりが強い)。ワイフは馴れない岩場で足がかなりつらそうでしたが、二人で山頂に着いたのは午後1時半ぐらいでした。山頂は360度の眺望で写真のように尾瀬ケ原から新潟の魚沼、福島、栃木の山々が一望できます。おにぎりを1つだけ食べて、小至仏山の裾野のイスのある休憩所まで戻り、そこでゆっくりと味噌汁をいただきました。TVの通り、適度な塩分とビタミンB1で疲れがとれます。鳩待峠に着いたのは午後4時を過ぎていましたが、最終のバスは5時10分まであるので、いつもの岩魚の炉端で熱燗を一杯。ここの岩魚はおいしいのです。えらを取った岩魚を遠火でゆっくりと干すように焼き水分を飛ばすのですがえらがないので頭にも火が通り、そのままかぶりつくと香ばしい。サービスでつく大根、白菜、胡瓜の漬け物も乳酸菌からの酸味が絶妙。この炉端は尾瀬のもうひとつのたのしみです。

 毎回泊まる宿屋は「ふきあげ」というところですが、この宿の弱アルカリの温泉が気持よく、山菜料理が抜群においしいのです。観光地の旅館の料理は山郷でも無理に刺身を出したり、天ぷらが揚げたてでなかったりですが、ここは地のものばかりです。山菜は春に取れたものを塩漬けにしたものですが、料理がおいしい。蕗のきんぴらなど感動しました。作り方を教ったので、日陰のやわらかい蕗が手に入ったら作ってみようと思います。

 翌日は朝食後に宿を後にして、道路わきの朝市で野菜を購入。ナス、胡瓜、カボチャなどですが、野菜本来の味に驚き、とうもろこしの甘味に驚きと、昼と夜の寒暖の激しい尾瀬の野菜はとてつもなくおいしいのです。
帰宅後、すぐになくなってしまい、もっとたくさん買うべきだったと後悔しました。

 レンタカーだったので、ドライブついでに尾瀬から赤城山を超え前橋に入りました。前橋は萩原朔太郎の故郷。そこで前橋文学館を訪問。高校時代に読んだ「月に吠える」などの詩、朔太郎の歴史などが展示してあります。朔太郎は東京では世田谷に住んでいたようですが、近所に芥川龍之介、室生犀星なども住んでいました。当時の世田谷はシリコンバレーのように文化人が集積していたようです。
         

2010/09/16

【Japan】ヴェルニー記念館と柴漁港

 週末の9/12日は群馬郡権田村の小栗上野介忠順の終焉の地を訪れた続きで、横須賀製鉄所の跡地を訪れました。幕末の動乱の最中にレオンス・ヴェルニーさんというフランス人技師がプロジェクトマネジャーで建設されたものです。横須賀駅のすぐ近くにヴェルニー公園ヴェルニー記念館があります。オランダ製の巨大なスチームハンマーが展示されていますが、窓からは海上自衛隊の船や潜水艦が見え、造船や修理を目的にしたヴェルニーさんの意思はそのまま引き継がれているようです。灯台建設や、長崎造船所の建設にも携われたようです。一緒に働いたポール・ブリュナ技師は富岡製糸場を設計し、日本の輸出産業の基礎を築きあげました。

 当時、薩摩からすれば幕府はフランスを、幕府からすれば薩摩はイギリスをと、英仏の対立から日本が分割コロニーになるのではないかと危惧はあったと思いますが、少なくともヴェルニーさんたちの仕事をみると、日本が自前の運営能力を持つまでの水先案内人の使命を全うしています。

 その後、金沢八景でお鮨をいただき、柴漁港の直売所で、ヒラメ、カワハギ、アナゴ、小イカ、まめ鯛を買い込み、ヒラメの半身は刺身、残りはコブ〆で翌日へ、カワハギは刺身を肝醤油で、アナゴ、小イカは天ぷら、まめ鯛は干物と、おいしくいただきました。
          

2010/09/11

【Palestina】サラ・ロイさん

 毎日新聞のエルサレム特派員でアラビア語の勉強仲間が、facebookで紹介されていた「ホロコーストからガザ」へという本を読んでみました。ガザの研究家のサラ・ロイさんの来日公演を中心にガザについてまとめられたものですが、サラさんのご両親がホロコーストからのサバイバーであることから、現在のガザとホロコーストを思考する本となっています。特に印象に残ったのは3点。

 ひとつは、ロイさんがガザでロバをひくパレスチナ人の老人に、その孫のいる前でイスラエル兵士がロバの尻にキスをするように要求し、その光景におし黙り、立ちすくてしまったこと。両親のホロコーストの逸話の数々が思い出されたそうですが、私は2008年にフランクフルトのゲットー記念館に訪れた際に、「猪の尿を飲むユダヤ人の絵」があったことを思い出しました。

 2つめは、イスラエルに住むイスラエル人がガザのことを「知ろうとしない」という事実。情報はいくらでもあるのに。

 3つめは、徐京植さんという在日韓国人の方との対談。日本に住む韓国人、在日の方の歴史とガザ、ホロコーストへの投影。イスラエルの人にとり、「ガザとホロコーストは違う」。日本人にとり、「ガザと在日の方の歴史は違う」と感じるが、結局は「ホロコーストもガザも在日も同じことでは?」と本書は問題提起をしてくれます。

 根本的な問題は「アメリカのユダヤロビー、イスラエルの正統派ユダヤ教徒の政治への影響力の問題」か「正統派ユダヤ教徒の徹底した忠誠の問題」か、「東エルサレムの帰属の問題」か、「人が個人でなく、集団になったときに持つ意思の問題」か、「代替案の問題」か、「インフラの問題」か、「経済の問題」か、これからも思索を続けたいと思います。