2008/06/20

【Japan】閉店した南青山のランベリー


#閉店したようです。

 和食はここ、イタリアンはここ、鮨はここ。と、おいしいいきつけの店は決めているのですが、フレンチがなかなか見つかりません。以前にこのBlogで紹介したカンテサンス(白金時代のカンテサンス)はミシュランガイドの3星で、大変おししいのですが、予約が2ヶ月先で、思った日になかなか取れないので、食べたいときなどに行くことができません。ランチは予約も可能なようですが、ディナーは最低でも2ヶ月先でないと無理です。そこで、近所にあるランベリーというフレンチに昨日行って来ました。カンテサンスと値段的には同じぐらいですが、料理はカンテサンスで受けたように感動の味があります。感動の味とは単においしいとかでなく、もう絶対に自分の手では作ることができない未知の味。あまりのおいしさに感動のあまりうなづくしかない味を指します。カンテサンスでは山羊乳のババロア。これには海水が掛けてあり、オリーブオイルとの組み合わせが絶品。ほんとうに生きてて良かったという味です。ランベリーではトマトのシャーベットがカンテサンスのババロアに匹敵します。たくさんのトマトを絞るのですが、力を加えない、つまり重力だけで絞ると、赤いトマトの身でなく、透明の水分だけが絞られます。これをシャーベットにして、エクストラバージンオイルを掛けて食べるのです。もう感動の味。言葉にならないおいしさです。もちろん、その他の料理も絶品。食後は外のテラスで食後酒を味わい満足満足です。ランベリーは近所なのでまたジビエの季節に食事をしたいと思います。

2008/06/09

【Japan】知床五湖とキンキ


 結婚記念日で6,7,8日と知床に行って来ました。一日目は網走からオシンコシンの滝、二日目は知床五湖のウォーキング、と言ってもガイド付きのゆっくりした散策。その後、羅臼へ。そして知床世界遺産クルージング。8日は午前中にプレペの滝の散策。小旅行でしたが知床を満喫しました。ウトロから知床峠を抜け羅臼へ抜ける道沿いで蝦夷鹿をたくさん見ました。また知床世界遺産クルーズでカムイワッカの滝の山肌にヒグマを発見しました。これだけ自然に鹿やヒグマが人間と共生していることも面白いことですが、知床の自然のサイクルが分かりやすく、小世界です。ロシアと中国の国境を流れるアムール川の水が冬になると凍り、オホーツク海で流氷として流れ着きます。流氷とともに豊富なプランクトンが知床に来て、魚が豊富で、アザラシや鳥が生息。そして鮭をヒグマが食べて、山で糞をすると、栄養豊富な糞は、山の植物を実らせます。ヒグマの堆肥で豊かな土壌の知床の植物は先週の尾瀬のミズバショウよりはるかに大きく、蕗の茎などは直径2cmぐらいあります。ヒグマが食物連鎖の頂点ですが、その排泄物が肥料になるとは、江戸の下肥商人がヒグマという訳です。北海道にいるヒグマ3000頭のうち、300頭が知床に生息するらしく、まるで日本における渋谷の交差点のような熊密度です。この自然の循環サイクルは環境客を呼び、ウトロの街は漁業と観光で成り立っています。泊まるホテルにレンタカーを横付けすると、60代と思われる人、40代と思われる人、20代と思われる人と、いろいろな世代で構成されたホテルの従業員が出迎えてくれます。自然と人が共生しているとは、人の仕事までを含んで、初めてバランスが取れているのではないかと思わせる光景です。最近、派遣労働の一般化からか蟹工船という小説がブームのようですが、環境が経済システムにビルトインすると、今までの2元的な考えとは次元が違って来るような気がします。

 今回の旅のもうひとつの楽しみはキンキです。流氷が去ったオホーツク海はキンキの漁場です。網走でのランチは「花のれん」で釣りキンキの刺身、鮨、そして塩焼きを堪能。羅臼では「純の番屋」でキンキの煮付け定食とウニたっぷり。キンキは脂が乗っていて本当においしかったです。知床ですから、ホタテ、蟹、ウニはホテルの晩御飯でも食べれますが、キンキは別格の魚。長崎のクエと並んでうまい魚です。しかし、たくさん食べすぎでしばらくキンキはお休み。

 ヒグマにソーセージを投げ与えると、ソーセージを食べたヒグマはそのおいしさを覚え、その匂いのする民家に近づき、そして人を襲う。そのヒグマは射殺せざるを得なくなる。無頓着な観光客がヒグマを殺人鬼にしたり、ヒグマの命を奪ったり。たった1本のソーセージが起こす悲劇。これをエシカルが制御するのか、リーガルが制御するのか。現在、知床は世界遺産に登録されてエシカルで制御されています。この地にはこんなことをリーガルで制御する時が来ないことを祈っていますが、環境サイクルと経済システムはいつかリーガルで制御することが必要な時代に(進化した資本主義?)なるのでしょうか。知床はそんなことも考えさせてくれるところでした。

2008/06/02

【Japan】5月でも雪があり、アイゼンが必要な三平峠


 5/31,6/1日の2日間、一泊で尾瀬に行きました。一日目は鳩待峠から竜宮十字路、ヨッピ橋、そして山の鼻に戻るコース。二日目は大清水から三平峠、三平下、尾瀬沼から同じ道を戻るコース。あいにく一日目は雨でしたが、小雨なので適度な霧が湿地帯を覆いミズバショウが美しく咲いていました。鳩待峠と大清水の双方に移動が便利な戸倉温泉(展望の湯 ふきあげ)に一泊しましたが、山菜もおいしく温泉も弱アルカリのツルツルしたお湯で気持ちが良かったです。二日目は晴天でしたが、三平峠から三平下の残雪で、簡易アイゼンが必要なくらいでした。両日とも5時間以上の歩行で、今日は心地よい筋肉痛です。次回、尾瀬に来るときは至仏山のトレッキングをしたいと思っています。

 ところで、鳩待峠でも大清水でも売店で岩魚の塩焼きを売っていますが、お勧めは鳩待峠の岩魚です。岩魚のエラをちゃんと取り、焼きも長時間干物にするようにゆっくりと焼いていますから、頭から食べても、香ばしく柔らかくいただけます。養殖の岩魚のようですが、鱒化の魚は囲炉裏で干すように焼くのが一番おいしい。ちなみに、自分で干物を作る場合も魚のエラは生臭くなるので外します。

おかげで、先週のアラビア語の宿題をやっていません。
今晩か、明日のアラビア語教室が始まる前に何とか...

2008/05/19

【Japan】金時山からの富士山NG


 5/17日は金太郎で有名な金時山にトレッキングに行きました。天気が良ければ富士山が一望できる頂上ですが、生憎の台風の影響で頂上について昼食中に雨。カッパを着込んで下山中に晴れ。と、富士山は一望できませんでした。直通の小田急箱根高速バスでの日帰りでしたが、温泉の露天風呂が大涌谷の濁り湯を引き込んでいて最高に気持ち良かったです。今年の夏は富士山登頂を計画していますが、その時こそは晴天の御来光でありますように。

2008/04/16

【Palestina】パレスチナの水問題とオスロー合意


 第三世界の政治('05)という放送大学の講座を聞く機会がありました。第10回の講義はイスラエルのラビンさんの話ですが、ラビンさんは1994年12月14日に日本に来日されています。そのときに日本経団連で歓迎のパーティーがあり、当時、小さな規模ですが、イスラエルから日本への技術トランスファーや投資のビジネスディベロップメントを行っていた関係から、そのパーティーに参加しました。当時の日本経団連の会長は豊田章一郎さんでした。そのときのラビンさんの話が今でも記憶に残っており、私を悩ます?のですが、ラビンさんは「イスラエルは自分で生きていける。日本はパレスチナをサポートして欲しい」と。政治的に難しい地域ゆえに、経済人の組織である日本経団連でこのような話をしたのか、それは分かりませんが、以前の敵を中立的である日本に何とかして欲しいということを言うために来日したひとりの人間に感動をしてしまったのです。同じテーブルにいた日本イスラエル商工会議所の創立者 藤原宣夫さんも感動していたようです。その後、ラビンさんは不幸にも亡くなりますが、そのメッセージは私の記憶から消え去ることなく、今日に至っています。

 最近、日本のODAがジェリコで農業プロジェクトをイスラエル、ヨルダン、パレスチナ、日本の4カ国プロジェクトとして行っているようですが、砂漠での農業はナバテヤ農法(6-4-7 展望台から)として古くからナバテヤ人の得意なものでした。ナバテヤ人はぺトラに住んでいたアラブ系の人のことですが、ナバテヤ農法の研究はイスラエルのベングリオン大学が進んでいます。ジェリコの農業プロジェクトには批判もあるようですが、農業のための水は井戸からか、ヨルダン川から、あるいはナバテア農法なのか、どのように給水しているのか、そこを自分の目で確認したいので、今年か来年にはジェリコに行きたいと思っています。

2008/04/15

【Japan】白金時代のカンテサンス


 昨日は、カンテサンスで食事をしました。なんと2ヶ月前に予約。予約の電話が1日に2000件あるという有名店で、なかなか予約できないようですが、あるルートから2ヶ月前に予約できました。4月10日の新宿アラビア語教室で、松尾先生がシェ松尾というフレンチレストランがあると言っていましたが、シェ松尾も有名なフレンチレストラン。歴史は流れ、現在は東京で最も評判のフレンチはカンテサンスです。「白いメニュー」という何も書いていないメニューはすべてお任せ13品。料理にあわせた8種のグラスワインもお任せコースあり。価格はフレンチにしてはリーズナブル。肉は1分焼き、5分休ませ、これを3時間繰り返し、肉にストレスを与えず焼く。今回は生後2ヶ月の子豚のロースト。塩でいただくのが最高においしかったです。白金台で食事をするのははじめてですが、静かな街です。地下鉄の駅ができてから少し変わったようですが、高級感漂う街並みです。「NAKBAとドイツとネボ山」でも書きましたが、今年の夏休みはフランクフルトへ入り、ゲットーを回り、その後はアルザスに行きます。ちょっとマニアックですが、アルザスはフォアグラをはじめ食材豊富な地域で、ミシュランの三ツ星レストランが最も多い地域。ある人に紹介されたアルザスにいる日本人シェフのお店に行く予定。歴史あり、食あり、ワインありの楽しみな夏休みです。

2008/04/07

【Jordan】NAKBAとドイツとネボ山


 少し前の話ですが、3月23日渋谷のユーロスペースでNAKBAを観て来ました。今年の正月は田舎に帰らず東京にいて、六本木ヒルズで「エイリアンとプレデター」という映画を観ましたが、ユーロスペースのNAKBAの方が入場者が多く、予想以上に日本でパレスチナ問題に興味を抱く人が多いことに驚きました。

 パレスチナ人はイスラエルが建国された1948年にパレスチナの地から追い出されたり、虐殺されたり、支配する側が支配する地に住む人たちに行う民族浄化が平然と行われました。それをパレスチナの人はNAKBA(大惨事)と呼んでいます。ドイツで起きた民族浄化のホロコーストと同じことが、1948年イスラエル建国により行われていたのです。映画の中で、パレスチナ人の人がNAKBA記念館(エルサレム郊外のホロコースト記念館と同じこと)の館長(と言っても民家の2階の小さな部屋が記念館)は、

「ホロコーストで殺された人は人で、NAKBAで殺された人は動物か」「WHY?」

と静かに語っていました。ホロコースト記念館でコーラを飲む若者を嘆くユダヤ人。NAKBAとホロコーストは同じとだとするイスラエル人とパレスチナ人の「ナクバ60」共同プロジェク。イスラエル側にもいろいろな人がいます。

 しかし、民族浄化などということはいつから始まったのでしょうか?昨年の5月にヨルダンを旅しました。ぺトラの遺跡からキングスハイウェイを北上し、目的地のネボ山に行きました。ここからヨシュアはジェリコに進行し、カナンの地を自分たちのものにしたという「ヨシュア記」に出てくるネボ山です。このネボ山から眺める景色は、眼下に死海、その向こうにエルサレム、そして右にはヨルダン川と世界最古の街、ジェリコ。旧約聖書の歴史をそのまま眺めることができます。日本ではあまり読まれないというヨシュア記。民族浄化のルーツはNAKBAまで延々と繰り返されています。

 今年の夏休みには、フランクフルトのゲットーの跡地を訪ねる予定です。