2011/06/20

【Japan】佐島の甘鯛と「郡上踊り in 青山」の鮎塩焼き


 先週「ためしてガッテン」で鯛のおいしい食べ方をやっていたのに触発されて、旬ではありませんが真鯛(関東の真鯛の旬は10月~5月)を求めて三浦半島の佐島へ行って来ました。

  いつもの魚屋さんをウロウロしていると、甘鯛がおいしそう。甘鯛も10月~3月が旬ですが、干物用に3匹購入。茹でたての蛸が並んでおり、小ぶりのものを購入。


 真鯛がなかなか見つからなかったので、聞いてみたら生け簀に1匹のみ50㎝ぐらいのギリギリのサイズのものがいました。というのも鯛はあまり大きいとおいしくない。

 さっそく戻り、甘鯛を干物開きに。甘鯛は背開きなので出刃包丁でないとつらいのですが、何とか頭も開き戸田塩をふり、とりあえず雨なので風呂場で干しました。日曜は晴れだったので朝早くにベランダに移し半日干して、1夜干しの完成です。甘鯛の干物は鱗をとらずそのまま鱗も食べるようですが、魚屋さんで聞いたら鱗は取った方が良いとアドバイス。京都などの本場で甘鯛の干物を食べていないので、今回は佐島の魚屋さんのアドバイスに従いました。









 まずは定番で真鯛は湯引きした皮付きの刺身(右が厚切り、皿に乗り切らない量)。骨で出し汁をとった茶わん蒸し。鯛を料理したら日本一といわれる小山裕久さんの料理で、鯛のかぶとを酒と少量の醤油のみで5分程度蒸し煮。と真鯛の3品が完成しました。後は薄作りの鯛を鯛茶づけ用に醤油と味醂で漬け込んでおきます。

 今回は真鯛の刺身を鮨ネタのように「薄切り」と「厚切り」の2種類用意したのですが、圧倒的に厚切りの方がおいしい。以前に小山裕久さんの店で真鯛の刺身を食べたときも、切り方や厚みで味が違うので驚きましたが、厚切りは噛めば噛むほどおいしいのです。かぶとの酒蒸しも絶品です。醤油で甘辛く煮る「かぶと煮」が一般的ですが、酒だけの方が鯛の味が良く分かり繊細な味になります。最後は、鯛の骨でとっただし汁をかけた鯛茶づけで〆ました。翌日の夕食は余った刺身と鯛の骨で鯛めしを炊き込み、甘鯛の干物を炙り、またもや魚尽くしでした。蛸は少し食べ、残りは生姜たっぷりの蛸飯用に冷凍しました。


 日曜日は「郡上踊り in 青山」が秩父宮ラグビー駐車場であり参加しました。南青山は岐阜県郡上市の領主青山さんの江戸領地(刃物会館でミソノモリブデン鋼を購入、そして青山のルーツの郡上八幡へ)だったので「郡上踊り」が毎年行われます。


 長良川水系の鮎の解禁は6月初旬からですが、まだ小ぶりの初夏の天然鮎を炭火で塩焼きにしたものが、この都心の真ん中で食べれるのです。毎年食べてますが、本当においしい。

 ちなみに郡上の鮎は鮎の評価コンクール(清流めぐり利き鮎会)で何度も金賞を受賞しており、東京のフレンチシェフ、特にナリサワなどで使われている食材です。岐阜の開化亭(和良の古田等さんの名物中華 開化亭)という独創的な中華を創造する店がルーツで、東京のフレンチ系シェフに和良川(郡上)の鮎が有名になりました。
            
 18歳まで岐阜県の山奥で育ち、20年ほど名古屋に住み、そして東京と流れ着き10年と、「山奥」「中途半端な都会」「都会」と移動してきましたが、日本の「海辺」は魚が新鮮でいいな、と思う今日この頃です。
     

2011/06/13

【Japan】蔵王連峰と斉藤茂吉


  6/11,12日と結婚記念日で蔵王連峰の軽いトレッキングと蔵王温泉に行って来ました。去年は伊香保温泉(榛名湖周辺と小栗上野介忠順)、おととしは奥鬼怒温泉郷(奥鬼怒温泉郷 加仁湯、サンショウウオの天ぷら!)、その前は知床(知床五湖とキンキ)と、日本国内の小旅行です。蔵王という山はなく、宮城県と山形県の県境にある山々の総称を「蔵王」と呼ぶようです。天気予報は曇りのち晴れでしたが、山形駅からバスで到着した出発地点の刈田駐車場は雨と霧、しかもみぞれ混じりの雨でした。雨の中をお釜まで歩き見学。その後、あまりに寒いのでトレッキングを諦め、レストハウスで山形駅で購入した牛肉弁当と山菜蕎麦、そしてビールを飲みながら1本しかない午後1:00発のバスを待っていました。ところが、山の天気は変わりやすく、霧が晴れ、雨が小雨に。2時間半程度のコースなので12:30に意を決して出発したのです。みるみるうちに晴れ、写真のように「お釜」もはっきりと全貌を現しました。山の天気は恐ろしいもので、逆だったら簡単に遭難してしまいます。

熊野岳山頂は雲が下に。

右手は地蔵山で中央は目指す蔵王温泉。
先ほどまでの霧とみぞれは何だったのでしょう。


 地蔵山頂駅からはロープウェイで下山しましたが、冬はこれらが樹氷となります。

  蔵王温泉は「わかまつ屋」に泊まりましたが、この宿は「和歌の宿」と呼ばれ、廊下などにたくさんの和歌の短冊があります。実は斉藤茂吉は蔵王の山麓で生まれ、東京に養子に行ったらしいのです。そしてこの宿とは親戚筋。てっきり斉藤茂吉は南青山4丁目の青南小学校近くが生家かと思っていました。

 蔵王温泉のお湯は最高です。酸性が強いのは草津温泉(秋の草津温泉)と同じですが、硫黄が濃い。一日たった今でも膚はかすかな硫黄の匂いがします。源泉の湯の花も購入したので、これからしばらく蔵王温泉を自宅でも楽しめます。


  翌日、バスで山形駅に戻り駅近くの「三津屋」で山形名物の板蕎麦をいただきました。山形市内にはたくさんの蕎麦屋があり、いろいろな味が楽しめるようですが、ここは7:3の藪蕎麦系の蕎麦です。個人的にはもう少し蕎麦の配分が多く、蕎麦の香がした方が好きですが、なかなかおいしくいただけました。山形の蕎麦は銀山温泉(紅葉の銀山温泉と新そば祭り)以来2年ぶりです。
       

2011/05/17

【Japan】西伊豆 土肥温泉と戸田からの富士山


 5/14、15と西伊豆の土肥温泉に家族旅行に行って来ました。東京からは伊豆半島の東側に行く方が近くて便利ですが、今回は相模湾でなく、駿河湾の魚を食べようと、三島から車で比較的近い土肥温泉を予約しました。西伊豆の対面は御前崎なので、浜岡原発が駿河湾を隔てて向こうにあります。5/14日のホテル到着の頃(午後2時)には、中部電力の役員の方々の株主代表訴訟覚悟の決断により浜岡原発が停止していました。津波が気になりホテルは4階の部屋を予約していましたが、原発も停止してくれたので皆安心です。
昨年の家族旅行は秋の草津温泉(秋の草津温泉)で、今年は新緑の土肥温泉ふじやホテルです。写真は14日、浜岡原発のある御前崎に沈む夕日です。


 宿では金目、伊勢海老、トロ、ホッキ貝、イカなどの船盛りと、焼きあわびや豚しゃぶなど海辺の宿の夕食と夕日の美しい露天風呂に癒されました。


 翌日は車で海岸沿いを走り三島に向かうのですが、戸田と書いて「ヘダ」と読む海岸で富士山を一望できました。金時山(金時山からの霞む富士山)でも霞んでいた富士が15日には全貌を現してくれたのです。冬場なら透き通った富士山でしょうが、初夏にここまで全体が一望できるのも気持ちが良いものです。

 食事と温泉だけを楽しみにした三人の家族旅行でしたが、中部電力の役員の方々には感謝です。

2011/05/06

【Japan】金時山からの霞む富士山



 GW後半の5/4は金時山にトレッキングに出かけました。前回同様に小田急箱根高速バスを予約し、朝7:00に新宿発です。都内は順調でしたが、高速が大渋滞で目的地の金時山登山口のバス停に着いたのが11:00です。通常2時間が4時間もかかってしまいました。予定のコースを短縮するためバスに乗り、バス停乙女峠から歩きはじめました。午後1:00には頂上に着き、昨夜作った稲荷寿司と山小屋の山菜蕎麦と缶ビール。以前はサッポロ一番醤油ラーメンとおでんぐらいでしたが、今回は山菜蕎麦やカレーうどんなども新メニューにありました。山小屋にはアントニオ猪木さんや「日本百名山」が愛読書の皇太子さん写真などが飾られていました。富士山は肉眼では薄らとその影が見えますが、春の霞でボケています。写真上は本来の風景、下は今回の風景。前回は雨だった(金時山からの富士山NG)ので、今回はまだましということで、次の目的の温泉のため急いで下山しました。


 日帰り入浴も可能な「乙女山荘」は箱根の湯そのもので、身体が癒されました。午後4:11分のバスは30分ほど遅れて出発し、新宿に9:30着とまたもや大渋滞に巻き込まれてしまいました。

 次回は6月に蔵王トレッキングを予定しています。
        

2011/05/01

【Japan】1匹2万円の35cmの大アジ


 GWの前半4/30日は天気良し、波良し、風良しで、予定通り金沢八景の弁天屋から春真鯛釣りに出かけました。弁天屋はタチウオ釣りで有名な船宿(海釣りの師匠とともに、はじめてのタチオウ釣り)ですが、この時期真鯛釣りも行っており、タチウオのときと同じ船長さんでしたから期待が膨らみました。金沢八景そのものは東京湾に面していますが、真鯛釣りは船で相模湾まで30分ぐらい移動します。タナは23mとのことで、電動リールはいらない深さでしたが、コマセがなくなるので何度も上げ下げします。反対側で大きな真鯛が上がり、こちら側でもいい形のものが上がりました。この時期の外道は鯖、大アジなどで、夏場の真鯛釣りのようにワラサやイナダに悩まされることはありません。以前に真鯛釣りに挑戦したときは食べきれないほどのイナダが釣れ(真鯛? ワラサ(ブリ)は食べ切れない!)、夏の脂の乗っていないイナダやブリをバターなどで焼いて食べましたが、やはり魚は旬の時期でないとおいしくない。

  今回はイナダが出ないので安心ですが、鯖が隣近所に糸を絡ませ上がって来ました。鯖もおいしくない時期なのでリリース。鯖は左右に暴れるため、近所迷惑でもあります。しばらくするとアジが釣れました。なかなかいい形のアジで、計ったら35cmありました。午後は波が高く風が強くなったので2時で終了となり、船全体で真鯛は3,4匹だったのではないでしょうか。結局、大アジ1匹の釣果で、乗船代、電動リールの借り代、レンタカー代で2万程度かかったので、

「1匹2万円の大アジ」

となりましたが、刺身にするとコリコリした食感で、釣りたてのおいしさを満喫できました。

 金沢八景から高速に乗るまでの間の港町は10mの津波に耐えれそうにありません。関東大震災の震源は神奈川県相模湾北西沖80kmなので、東京湾内に直撃しないかも知れませんが、津波対策が必要です。これも東日本大震災の影響でしょうか、低い堤防が気にかかります。
       

2011/04/25

【Taiwan】親日国台湾とfacebook


 4/21~24日まで台湾に行って来ました。台湾は3/11日の東日本大震災でアメリカより多い144億円もの義援金をいただいた国ですが、到着するとコンビニのセブンイレブンやファミリーマート、百貨店の三越、タクシーはトヨタや日産の車、大量の原付はヤマハ、そして新幹線と、日本と深く関わりのある国であることを実感しました。台湾も地震国で1999年に921大地震が起きていますが、高層ビルとして台北101という101階建てのビルがあります。竹をデザインしたビルで、大きなダンパーが免震のために内部にありました。2004年当時は世界一の高さのビル、東芝製のエレベータは世界一のスピードとのこと。89階の展望フロアーまで時速60kmで直行でしたが、世界一を目指したりすると、想定外の火災や電源喪失などの対策が施してないのではないかと疑心暗鬼になってしまいます。とにかく89階から地上に着くとひと安心。福島原発の心理的な影響はこんなところにも出てきます。


 初日に台湾料理を食べたレストランは頂上魚翅燕窩専売店という名前で英語名は「Golden Top of Restaurant」。バブル的な店なのか、出勤前的な女性と同伴するおじさんをチラホラ発見。大きなフカヒレの煮込み(写真)、アワビ、ナマコの炒め物、蒸渡り蟹、そしてデザートに冷たいツバメの巣と、アラカルトで日本であまり食べないものを矢継ぎ早にいただきました。特にフカヒレは想像以上においしく、ボリューム満点。ここは二人で18,000台湾ドルと高めの店です。


 海の幸の豊富な高雄まで新幹線で移動し、食材や料理方法を選ぶ食堂で、ハマグリ、鯛、エビなどを焼いてもらい、筍や青菜炒めをいただきました。


 高雄は三国志の関羽が祭られている高雄関帝廟が商売繁盛のご利益があるそうなので、そこでお参りもしました。

 商売繁盛しますように!

 屋台の食べ物は口に合うものと、とても食べれないものなどいろいろ。台湾料理の素材と香辛料は合うものと極端に合わないものがあり、注文し運ばれるまで不安です。
 全身マッサージやら、足裏マッサージで身体のメンテナンスも行いましたが、「1台湾ドル = 約3円」なので、日本の物価の1/3。今回はマイルで行ったのでホテル代と現金で使った3万円、1食だけ高級な台湾料理にお金を使ったぐらいで収まりました。

 帰りの飛行機で映画「ソーシャル・ネットワーク」を観ました。
 facebook創業者でCEOのマーク・ザッカーバーグさんが主人公です(ハーバード大学出身の元同僚が卒業し20年以上経つのに「harvard.edu」というメールアドレスを使っているのに違和感を感じたことがありますが、この映画でその理由が分かりました)。facebookはその枠を拡大し、中東に民主化の道具にもなっています。逆にfacebookは中東の民主化の道具であることが大きな宣伝効果となり、世界中に拡大中です。宣伝効果を金額換算すると1,000億円以上はあるのではないでしょうか。

 年間平均4,000ドル以上/人の収入の国になると民主主義が芽生えると聞いたことがありますが、中国は禁止でも、台湾でfacebookのユーザーは拡大しているようですね。
     

2011/04/04

【Japan】地産地消 佐島のイタリアン・マーロウ



 4/10日は釣り仲間に紹介された佐島のイタリアン・マーロウに行ってきました。都内のリストランテにしばらく行っておらず、3/11日の震災以来、行きつけの渋谷市場の魚屋さんの魚種・鮮度などが今ひとつで、ランチの後に佐島の魚屋さんにも立ち寄りたいと、クーラーボックスをレンタカーに積み出発です。海辺の席を3名で予約し、刺身入りサラダ、三崎トロのカルパッチョ、渡り蟹のクリームパスタ、ブイヤベースといただきました。私たちには3名で分けてちょうど良い量で、地物の野菜、魚など地産地消の素材でボリューム満点です。写真はブイヤベースですが、魚はイカ、エビ、真鯛、黒鯛、アサリ、ムール貝、渡り蟹などで味付けはトラディショナルなフランス風の濃い味わい。マルセーユのブイヤベースはブイヤベース憲章で定められた魚介類を使っていますが、地中海の素材なので、結局これも地産地消です(サラダ、カルパッチョ、パスタは取り分けるのに忙しく写真なし)。最後にデザートのプリン。これがまた大きなプリンでお腹いっぱい。

 相模湾の魚を活かしたイタリアン・マーロウは地元の人たちで満員のレストランです。

 その後に佐島漁港近くの3軒並んだ魚屋さんで泳いでいる真鯛とヤリイカ、そしてシラスを購入。夕食は真鯛・ヤリイカの刺身、そして相模湾名物のシラス丼をいただきました。刺身は〆てその日にいただいたのでコリコリの食感。

 相模湾の魚で大満足の一日でした。
       

2011/02/28

【Japan】長崎のアラのあら煮と日韓トンネル




 2/26、27はマイルを使って長崎にアラを食べに行って来ました。アラは東京ではクエと呼ばれていますが、この時期の脂の乗ったおいしいアラは絶品です。東京で食べてもおいしいのですが、その料理がおいしい地域に出向くのも、思わぬ発見があり楽しみなものです。今回はついでに「平和公園」「グラバー園」「出島」「亀山社中」の4ヶ所を観光しました。

 「平和公園」は平和記念像が有名ですが、敷地内に「原子爆弾落下中心地」の石碑があり、原爆死没者名簿登載者数 平成22年8月9日現在152,276人と写真をClickし拡大していただけると確認できます。投下中心地は円形に盛土された上にあり、今ではその面影さえありませんが、石碑に刻まれている日付はまだその被害が続いているという証左でしょう。その後「グラバー園」に立ち寄りましたが、眺めがよかったという印象しかありませんでした。

 「出島」は長崎市が観光用に当時を再現したようですが、面白いのは「島」と言えども出島まで橋があるので地続きだという点です。ポルトガル人からオランダ人が住むようになり、日本人と結婚し、出島に家族と住んでいたようです。地続きであることと、船で離れた島と交流することとは大きく違います。やはり、地続きの方が交流がしやすい。
 九州と朝鮮半島を地続きにする「日韓トンネルプロジェクト(動画)」というものもあるようですが、いつの時代か日本と韓国が地続きになり、日本からロンドンまで車で行けるようになるかも知れません。

 「亀山社中」はさすがに坂本龍馬の大河ドラマが終わったためか、通常の混雑のレベルでした。亀山社中記念館の中に坂本龍馬の紋服があり、その「組み合わせ角に桔梗紋」は明智光秀の家紋と同じ桔梗紋。本当かどうか分かりませんが、家紋からも坂本龍馬は美濃の明智光秀の子孫だという説もあるようです。

 さて、アラに話を戻しましょう。
 アラ料理専門の銀鍋というお店でコースをいただきましたが、写真はアラの「あら煮」。関東の人が好きそうな濃い味のあら煮で、酒がすすむ一品でした。
 この料理は檀一雄もよく食べたようです。


2011/02/21

【Japan】丹沢大山と小林多喜二



 2/19,20日と近場の丹沢 大山にトレッキングに行きました。トレッキングは昨年の9月の至仏山以来なので4カ月ぶりです。大山は神奈川県で海にも近いし雪もないだろうと考えていましたら、とんでもない。調べると山頂付近は軽アイゼンが必要とのこと。当初の予定では2/11,12日に計画していましたが、都内でも雪で、宿を翌週にずらし大山へ。コースは日向薬師コースで、七沢温泉に1泊するものでしたが、大山山頂はチラホラと雪、相模湾の薄っすらと見える程度。同じ神奈川県の金時山(金時山の富士山NG)のときも富士山に嫌われましたが、今回も雄大な眺望はNG。下山は雪も残っており、ワイフと二人でアイゼンを装備し見晴台へ。そして道路に出て日向薬師から七沢温泉まで2時間強で峠越えと、計7時間のトレッキングでした。

 七沢温泉に着いたときは二人ともクタクタ。予約した宿は福元館という宿ですが、サイトによると、小林多喜二を匿っていたらしく、離れの部屋、色紙などがありました。DVDで蟹工船を見たときは、映画の出来の悪さに早送りしてしまいましたが、1930年代の当時の会社と従業員の関係は厳しい対立が思想的にもあったのかも知れません。残念ながらその時代を生きていないので分かりませんが、1980年代になると労働運動をあまり聞かなくなった記憶があります。おそらく円高で生産拠点を海外に移す企業が増え、「生活防衛=企業防衛」という認識が出てきたからかも知れません。それまではストライキで電車や飛行機が止まったりすることが度々ありました。日本の会社組織が民主的になるのに50年以上かかり、そして会社が株主のものという考え方からマネーゲームを生み出し、2009年にはリーマンショックでグローバル不況になってしまいました。

 最近、中東で起きている民主化革命はどれくらいかかるのでしょう。シーア派の強い国、スンニ派の強い国により、イランのようにイスラム国になってしまうケース。あるいはトルコのようになるケースがあるでしょうが、民主化は簡単にすぐできることではないでしょう。「小林多喜二の時代と中東の民主化の比較」を考えるきっかけになったトレッキングでしたが、足が筋肉痛の日々が2,3日続きそうです。

 それにしても福元館の牡丹鍋はおいしかった...

      

2011/01/24

【Japan】ワサビ風味のカワハギの肝和え


 先週土曜日は東大井の船宿いわたからカワハギ釣りに出かけました。釣り日和でしたが、乗合船はギリギリの人数で、私たちが参加したことで無事出航となりました。カワハギは2末までが時期なので、そろそろ終わりかけというところでしょうか。私が小7匹、ワイフが小1匹と今回は大物に嫌われたようです。佐島の海楽園のサイトに、 「カワハギの肝和え」 の作り方が動画で乗っていたので、その通り作ってみました。 カワハギの食感と肝の味、ワサビの味もよく分かり、なかなかいけます。 肝醤油で刺身を食べるよりおいしいかも知れません。 この冬のカワハギ釣りはこのくらいでお終い。 そろそろ春の真鯛釣りに気持ちを切り替えます。       

2011/01/14

【Coffee Break】マイクロファイナンスとBOPビジネスとイスラーム


 アライアンスフォーラムのTweetでJICAでマイクロファイナンスの公開セミナーがあるとのことで申し込み、昨日参加してきました。

 IT業界で1980年代のマイクロチップが出現したころに「マイコンとは何か」「マイクロプロセッサーの未来は」「8080、Z80,6809とは」というセミナーが盛んに行われ、数億、数十億円の大型コンピュータ全盛の頃に手のひらに乗るマイコンを理解するセミナーから30年が経過しました。

 そしてIT産業はすでに成熟産業となり、テクノロジーというより、利用技術としてのTwitterやFacebook、ソーシャルゲームなどに行き着きました。IT業界に身を置くものとしてそれらを使うことはありますが、8bitマイコンのように未来を感じることはなかなかできないものです。もちろん、次から次へと出現するサービスを否定しているのでなく、これらは「流行」のもので「不易」なものでなく、それなりに使えば便利なものというだけのことです。

 先進国ではお金がお金を生むファイナンシャルエンジニアリングによりアメリカでリーマンショックが起こり、ヨーロッパに飛び火し、世界は苦しんいます。そんなときに貧困国では大きなお金でなく「マイクロなお金」で経営を行う金融、マイクロファイナンスが出現しました。現在、マイクロファイナンスの会社はインドやメキシコで上場するほどになりました。

 大型コンピュータ全盛の1980年代に出現したマイコンと、ファイナンシャルエンジニアリング全盛だった2000年代に出現したマイクロファイナンスには共通の「希望」を感じます。

・マイクロファイナンスとは
(給与所得者でない)貧困層向けの貯蓄・融資・送金・保険等全ての小口金融サービス。

・マイクロファイナンス機関
マイクロファイナンス機関、商業銀行・ノンバンク・NGO/CBO(Community Based Organization)・協同組合/自助グループ等。政府の規制・監督対象になっていないものが大半。

 途上国では27億人は未だに公式な金融サービスを受けていないそうで、銀行口座すらない状態です。金融サービスを行う側は政府の規制・監督対象になっているところは150程度と少ない。未整備でいろいろな問題はありますが、例えばバングラデッシュで、観光客に竹細工を100円で売りたいと思っている人が、その原価を負担できず働く先がなければ、マイクロファイナンスで借りることができるのです。マイクロファイナンス機関は、預金やマイクロファイナンスファンドに投資する富裕層から集めた金を、利子28.2%(平均)で貸し付けます(28.2%:8%資金調達、11%業務経費、3%貸し倒れ引当金、6%利益)。95%~98%の方は返済され双方の事業が成り立ちます。JICAそのものは20億円をマイクロファイナンスに資金支援をしているようですが、大きな金額でなく少額でたくさんの貧困層の人が自立できる可能性を秘めています。

 日本の金融業界でもマイクロファインスファンドに投資するところも出てくると思いますが、アジア、インド、アフリカなどの途上国では金融の知識そのものを普及させることや、途上国の27億人のうち20億人は携帯を持っているので、日本の確立したネット銀行などのIT技術(開発投資の終わった技術)、多言語システム(グローバルWebブランディング)など、日本のやれることはたくさんありそうです(いくつかの企業はすでに取り組んでいます)。

マイクロファイナンスファンドの一例

 今回のセミナーは金融の側面主体の話でしたが、BOPビジネスもグローバル展開を行う日本企業には必要なことではないでしょうか。

BOP(Base Of the economy Pyramid)ビジネスとは
CSRとの違い

 ちなみに利子のないイスラム金融での適応はどうかと質問をさせていただきましたら、イスラム圏ではこれからアジャストされるのではないかとのこと。
        

2011/01/05

【Japan】初詣代わりの正月のカワハギ釣り!

 1/2日は大潮、波は高くなく、釣り日和なので、久しぶりに東大井の「船宿いわた」からカワハギ釣りに出かけました。三浦半島から出航のときはレンタカーを借りますが、東大井のときはタクシーを利用します。釣り舟は朝7時、7時半などに出航で、船宿には30分から1時間前に入る必要があるため朝が早く、レンタカーを借りて行く場合は、夕方の帰りに強烈な睡魔に襲われます。特に首都高に入る手前の渋滞時の睡魔との闘いはつらい。東大井からはその心配はないのですが、観音崎などの魚場まで1時間ぐらい船で揺られます。 船中の部屋でごろ寝をし、いよいよ魚場に到着。アサリをつけて釣りだしましたが、あたりがさっぱり。1時間たっても、2時間たっても釣れません。船の周りの人たちは続々と釣りあげ、歓喜が溢れます。隣のワイフまで巨大なカワハギをGET。後で測ったら27cmの大物です。そして+2匹目も釣りあげました。もう諦めかけたときにおにぎりとカップラーメンの昼食をゆっくりすませて、気分を変えて再度挑戦。餌のつけ方や、竿の振り方などを少し改善したら、ついに来ました、1匹、2匹、3匹ここでワイフに追い付く。結局4匹。形は小さいですが夕食には27cmのカワハギは肝醤油で刺身と6匹の小さいものは煮付け、と3人分何とかなりました。釣れないと顔も暗くなり、ますますマイナスのスパイラルに陥りますが、一旦プラスに転ずるとウキウキ気分です。釣りも仕事も、人生もこんなもんでしょうか。 今年も不況は続くでしょうが、 「大型の商談は少なく、小型の商談が多い」 のではないかと、予感する釣り初めでした。
       

2010/12/15

【France】ボルドー・サンテミリオンとアルカッション

        シャトー・マルゴー

        シャトー・ラフィット・ロートシルト

        サンテミリオン・モノリス教会


 先週は遅い夏休みをいただきボルドー、サンテミリオンとワインの産地巡りをしました。6月に母親と同居してから長期旅行は区のショートステイの予約に合わせて行っていますので、①仕事の都合、②ショートステイ、③飛行機、④各種予約の順で旅行計画が決まってきます。で、今年は夏休みが12月になってしまいました。来年はもう少しスムースに行くと思いまが、ショートステイのシステムはありがたいものです。

 やはり、ワイン産地巡りには現地に精通したガイドが必要になります。今回はボルドーにお住まいで、ドラマ神の雫のフランスコーディネーター、漫画にも「どうも、加藤です」と登場した加藤尚孝さんにお願いしました。

 最初はシャトーマルゴーに訪問。オーナーが100%株式を持つ会社でオーナーもシャトーに住んでいますが、嗜好品は利益だけでないこだわりが必要な商売なので、株式を多くの人が持ち収益を求める株式会社には合わないのでしょう。写真のセラーには2009年の1級とセカンドのすべてが貯蔵されていますが、2009年は葡萄の大変良い年なので、さぞかしおいしいワインができることでしょう。試飲は2007年のマルゴーとセカンドをいただきました。久しぶりのメドック1級シャトーの味。一般的にワインのシャトーに行くと試飲とともに購入用のワインが並べてありますが、5大シャトーは販売は一切していません。写真は案内してくださったマリーさん。

 続いてシャトー・ラフィット・ロートシルトですが、写真のようにセラーが円形。円形のためにすべての樽が等距離で仕事がやりやすく、年に2回コンサートホール(300名が椅子席で鑑賞可能)としても使われるほど音響が良いそうです。試飲は1995年のラフィット、2杯もいただきました。1995年は15年経過していますが、さらに熟成したらもっとおいしくなりそうです。以前に1961年のラトゥールを購入した際にブショネで、購入した酒屋で交換してもらったのが、1961年のラフィットでした。そのことを案内してくれたエリックさんに話したら1961年は100%カベルネ・ソーヴィニヨンだったそうです。

 なぜかは知りませんが、中国ではラフィットが人気で、ラフィットを飲むのがステータスのようです。おかげで値もつり上がり、まだ樽で熟成中の2009年は1400ユーロ/本の値がついてしまったそうです。中国バブルが崩壊するまでの辛抱かも知れませんが、困ったものです。ここも中国人に人気らしいのですがランシュ・バージュに訪問。メドック地区の格付けはナポレオン時代のもので、その後はシャトー・ムートン・ロートシルトが2級から1級に昇格し、1856年にシャトー・カントメルルが第5級に追加されただけで、後の格付けは不変です。

 翌日は祭日だったので港町のアルカッションまで電車で移動し、生牡蠣をいただきました。フランスの生牡蠣は番号により大きさが違い(No.0~No.5まであり、0番が一番大きくて約150g/個、一番小さい5番は約35g/個)ますが、ここでは2番を選択。夜はボルドーの街に宿泊したので、名物のジロンド川産ヤツメウナギのワイン煮をいただきました。

 翌日はサンテミリオンに移動し、クロ・フォルテ、家族経営のラニオット、ペトリュス一族がオーナーのガデ・サン・ジュリアンを訪問しました。クロ・フォルテもガデ・サン・ジュリアンも地下のCave(セラー)が広く驚いたのですが、サンテミリオンには地下がたくさんあるようです。写真のモノリス教会も自然岩をくり抜き地下に聖堂がありました。

 この地域のワインはメドック地区と違いメルロー主体。隣のポムロールのペトリュス(シャトーに日本の鳥居が建っていた!)や一本松のルパン(現在新シャトー建築中)もメルロー主体。泊ったホテルのレストランで飲んだシャトー・パヴィもメルロー主体でタンニンが強くなくやわらかな好みの味でした。

 フランスのワイン産地の旅は「ブルゴーニュ地方」「シャンパーニュ地方」「アルザス地方」と今回の「ボルドー地方」と、だいたい一巡しました。

          

2010/11/02

【Japan】福井南青山291で蕎麦打ち初体験



 先週末は福井県のアンテナショップの「福井南青山291」で「ふくいそば打ちコース」にある体験コースに参加しました。蕎麦打ちははじめてですが、水加減がほんの少しで違うことなど、体験しないと分からないことが一杯です。伸ばし方、切り方、それぞれ見ていると簡単そうなのですが、やると難しい。 福井の蕎麦はきしめんのような平たい蕎麦ですが、ここでは普通の二八蕎麦(小麦粉2、蕎麦粉8)を、細く切りました。さっそくいただきましたが、おいしかった。大根おろしと汁をかけて食べるのが福井流とのことで、寒い冬でもこのようにして食べるそうです。 蕎麦打ちは奥の深いものですね。 何事も体験しないと分からないと、つくづく思います。
        

2010/10/25

【Japan】和良の古田等さんの名物中華 開化亭

写真はJR岐阜駅の織田信長像


  先週末はワイフの誕生日のお祝いでどこかレストランに行こうと、東京のフレンチのシェフの間で有名な岐阜の開化亭という四川料理の店に行って来ました。一般的にフレンチのシェフはフランスのミシュラン三星レストランで働いていたとか、有名シェフの下で働いていたとかで「箔が付く」ということなのでしょうが、この開化亭は逆に「東京から日本の星付きレストランのシェフが岐阜に食べに行く」ということで有名な店なのです。私たちも「そんなにおいしいのか」という想像をかきたてられて、わざわざ新幹線で岐阜に行ったのでした。

  岐阜には学生時代にアルバイトでお世話になったMさんが住んでおられ、少し早めに岐阜に着き、2時間ほど近況の情報交換。今年で72歳とは思えない頭の冴えようで、ワイフ曰く「話が面白い」とのことで、時間を忘れ話し込んでしまいました。昔話を懐かしむことはもちろんですが、新しい話も一杯で、楽しい時間を過ごさせていただきました。

  開化亭ではコースをいただきましたが、その中に「鮎の春巻き」を入れてもらいました。季節は外れているので落鮎かと思いましたが、初夏から夏場の鮎を利用しているようです。しかも、「和良川の鮎」とのこと。シェフの吉田さんが「郡上市和良村」のご出身だからですが、私は「郡上市白鳥町」出身なので「和良川より長良川の上流の鮎の方がおいしいはず。長良川は河口堰があるけど海からも遡上した本当の天然鮎がいる!」と思いつつ春巻きを口にしました。開化亭の鮎の春巻きを食べた人は口を揃えておいしいと言い、たくさんのblogにその料理法や味が紹介されていますが、本当においしい。ナリサワのオーナーシェフの成澤さんは近所の情報誌に「和良川の鮎は日本の財産だ」と語っていましたが、素材を活かす創造力こそが日本の財産なのかも知れません。その他のフカヒレステーキ、アワビ、鴨、キャビアなどの食材を利用した料理はいずれも素材を引き立てる料理で驚きです。最後に四川料理として坦々麺、ワイフは麻婆豆腐をいただきましたが、これは開化亭よりおいしい店が東京にはいくつかあります。開化亭は四川料理らしからぬ中華というより、中華の調味料を使ったフレンチなのです。これで有名フレンチシェフが岐阜へ訪問する理由が分かりました。
(東京のシェフがパクりそう、、)

  今回は岐阜のホテルはどこも満室で名古屋へ電車で戻り予約していた錦のホテルへチェックインしました。久しぶりの名古屋です。Mさんに紹介していただいた今池のバー「酒肆蘭燈(シュシランタン)」へ。老舗のバーらしく落ち着いた雰囲気。「サイドカー」「グラスホッパー」を注文、氷を丁寧にカットするのが印象的です。バーでは野球の話題が一杯でしたが、中日に何か面倒なことでもあったのでしょうか。

  翌日は岩倉市にひとり住いの息子をレンタカーで訪問。風邪で寝込んでいたらしい。近所の木曽路ですき焼きをたらふく食べ栄養補給。これで風邪も直ることでしょう。

  夕刻には東京に到着「東京→岐阜→名古屋の錦→名古屋の今池→岩倉→東京」と「人と味」をめぐる旅でした。
                 

2010/10/19

【Japan】秋の草津とバリアフリーの宿「望雲」


 週末の15日、16日と家族で草津温泉に行って来ました。2008年11月の初旬に草津白根山(10月の草津白根山は冬)にトレッキングに行ったことがありますが、1週間の差で紅葉も終わり、白根山は雪だったことから、今回は3ヶ月ほど前に10月中旬に宿を予約しました。草津温泉全般に言えることですが、バリアフリーの宿はほとんどありません。今回は部屋に温泉風呂があり、簡易ベット用意してくれるということで、望雲を選びましたが、温泉街自体が坂道なので、バリアフリーに対応するという考えが薄いのかも知れません。 しかし、草津温泉のお湯は最高で、この宿は「万代鉱源泉」「西の河原源泉」の2種類が楽しめます。個人的には西の河原の源泉が好きですが、酸性濃度は万代鉱の方が強いようです。前回は共同浴場の「白旗の湯」(源泉 白旗)に入りましたから、今までに「白旗」「西の河原」「万代鉱」の3つの源泉に入ったことになります。その他、現在は利用されていないものも含め「湯畑」「綿の湯」「熱の湯」「ゆりかご橋」「地蔵」「煮川」「湯釜」「香草」「若乃湯」「君子の湯」とあるらしい。 翌日は草津白根山のドライブでしたが、綺麗な紅葉も車中から見ることができました。 いつもはトレッキングついでの温泉が多く、温泉のみの小旅行は久しぶりのことですが、これから年に1,2回はどこかの温泉に家族旅行を行うつもりです。
          

2010/10/13

【Japan】佐島のカワハギから久里浜の甘鯛へ


 先週は3連休だったので久しぶりに海釣りに行こうと、中潮でしたが、天気の良い11日にレンタカーを借りて三浦半島に出かけました。早朝5時に出発し佐島のつね丸という船宿に着いたのが、午前6:30。席取りをしようとすると、カワハギ船はもう満席。佐島の近隣のカワハギ船をあたっていましたが、どこも満席。わざわざレンタカーを2週間前に予約し、朝の4時半に起きて、7時半の出船の1時間前に入ったのに、カワハギ釣りができないなんて、、。こんなことははじめてです。船宿は天候に影響されるので予約制でなく、今まで当日に行けば必ず乗船できていました。3連休で土日は雨、海風も波も高かったので、晴れた月曜日に集中した訳です。船宿の入り口でクーラーボックスを抱え、ワイフと二人で呆然としていると、小声で「今からなら三浦半島の久里浜に行けば、あそこはカワハギの船宿が3件あり、8時出航だから間に合う」と乗船できるおじさんが教えてくれました。その言葉を信じ、カーナビで「久里浜」を設定。20分ほどで到着すると「ペリー記念館」(ペリーは久里浜から上陸した)の看板を見かけました。ゆっくり記念館のことなど考える余裕もなく、道を聞きつつ船宿発見。そのうちのやまてん丸で 「カワハギ船 間に合いますか?」 「カワハギは一杯だよ」 「えっ・・・」 久里浜まで来たのに。どこの船宿もカワハギは満杯の様子。やまてん丸のおばさんに「甘鯛なら空きがある」と言われたので、この際、はじめてだけど甘鯛でもやってみるかと挑戦してみました。深さ70メートルに船宿で借りた手動リールでオキアミを落とします。深さ70メートルなのに手動リールなのです。何度も餌を変えたり、確認したりするのも大変。なんとか写真の1匹+小甘鯛を釣り上げ坊主を免れましたが、ワイフは外道のトラギスに好かれ、坊主。帰宅後、甘鯛は刺身でいただきましたが、甘みがあり水分の多い身なので、おそらく干物にすると凝縮されおいしい種類の魚だと思います。甘鯛釣りを行うには電動リールが必要ですが、釣果大量の場合は干物にしてみたいものです。 久しぶりの海釣り、しかもドタバタ、そして手動リールで深場へ、釣果は・・・(笑)。 楽しい休日でした。
               

2010/09/30

【Japan】寒さに震える夏の至仏山と萩原朔太郎(前橋文学館)



 9/25日は尾瀬の至仏山をトレッキングしました。以前に尾瀬でトレッキング(5月でも雪があり、アイゼンが必要な三平峠)を行ったときに尾瀬に2000メートル級の至物山があることを知り、ここはいつかは登頂したいと考えていたところです。数か月前に予定を組んで、頂上で飲む味噌汁のため山用の魔法瓶を買い込み、数週間前から朝のウォーキングで階段を多くしたりして準備していました。ヨーロッパ・アルプスのアルプのように森林限界を超えた山の風景が好きなため、2000メートルを超える山に1年に1度は登りたいと毎年この時期は恒例のトレッキング(昨年は白山:白山の雲海に浮かぶ素晴らしい朝日)を楽しんでいます。

 天気予報では25日は雨後晴れでしたが、レンタカーとバスを乗り継ぎ鳩待峠に着いたのが9時半頃。登山口は細かい霧で視界はまったくなく、晴れを祈りながら歩きました。小至仏山に差し掛かるあたりから晴れ間が見えて、尾瀬ケ原が一望できたときは感動しました(苦労を重ねて展望が拓けたような気分)。さらに山頂まで岩場を登りましたが、風が強く、吐く息が白くなるほどの寒さです(展望は拓けたが風当たりが強い)。ワイフは馴れない岩場で足がかなりつらそうでしたが、二人で山頂に着いたのは午後1時半ぐらいでした。山頂は360度の眺望で写真のように尾瀬ケ原から新潟の魚沼、福島、栃木の山々が一望できます。おにぎりを1つだけ食べて、小至仏山の裾野のイスのある休憩所まで戻り、そこでゆっくりと味噌汁をいただきました。適度な塩分とビタミンB1で疲れがとれます。鳩待峠に着いたのは午後4時を過ぎていましたが、最終のバスは5時10分まであるので、いつもの岩魚の炉端で熱燗を一杯。ここの岩魚はおいしいのです。えらを取った岩魚を遠火でゆっくりと干すように焼き水分を飛ばすのですがえらがないので頭にも火が通り、そのままかぶりつくと香ばしい。サービスでつく大根、白菜、胡瓜の漬け物も乳酸菌からの酸味が絶妙。この炉端は尾瀬のもうひとつのたのしみです。

 毎回泊まる宿屋は「ふきあげ」というところですが、この宿の弱アルカリの温泉が気持よく、山菜料理が抜群においしいのです。観光地の旅館の料理は山郷でも無理に刺身を出したり、天ぷらが揚げたてでなかったりですが、ここは地のものばかりです。山菜は春に取れたものを塩漬けにしたものですが、料理がおいしい。蕗のきんぴらなど感動しました。作り方を教ったので、日陰のやわらかい蕗が手に入ったら作ってみようと思います。

 翌日は朝食後に宿を後にして、道路わきの朝市で野菜を購入。ナス、胡瓜、カボチャなどですが、野菜本来の味に驚き、とうもろこしの甘味に驚きと、昼と夜の寒暖の激しい尾瀬の野菜はとてつもなくおいしいのです。
帰宅後、すぐになくなってしまい、もっとたくさん買うべきだったと後悔しました。

 レンタカーだったので、ドライブついでに尾瀬から赤城山を超え前橋に入りました。前橋は萩原朔太郎の故郷。そこで前橋文学館を訪問。高校時代に読んだ「月に吠える」などの詩、朔太郎の歴史などが展示してあります。朔太郎は東京では世田谷に住んでいたようですが、近所に芥川龍之介、室生犀星なども住んでいました。当時の世田谷はシリコンバレーのように文化人が集積していたようです。
         

2010/09/16

【Japan】ヴェルニー記念館と柴漁港


 週末の9/12日は群馬郡権田村の小栗上野介忠順の終焉の地(榛名湖周辺と小栗上野介忠順)を訪れた続きで、横須賀製鉄所の跡地を訪れました。幕末の動乱の最中にレオンス・ヴェルニーさんというフランス人技師がプロジェクトマネジャーで建設されたものです。横須賀駅のすぐ近くにヴェルニー公園、ヴェルニー記念館があります。オランダ製の巨大なスチームハンマーが展示されていますが、窓からは海上自衛隊の船や潜水艦が見え、造船や修理を目的にしたヴェルニーさんの意思はそのまま引き継がれているようです。灯台建設や、長崎造船所の建設にも携われたようです。一緒に働いたポール・ブリュナ技師は富岡製糸場を設計し、日本の輸出産業の基礎を築きあげました。

 当時、薩摩からすれば幕府はフランスを、幕府からすれば薩摩はイギリスをと、英仏の対立から日本が分割コロニーになるのではないかと危惧はあったと思いますが、少なくともヴェルニーさんたちの仕事をみると、日本が自前の運営能力を持つまでの水先案内人の使命を全うしています。

 その後、金沢八景でお鮨をいただき、柴漁港の直売所(梅雨イサキと柴漁港の魚市場)で、ヒラメ、カワハギ、アナゴ、小イカ、まめ鯛を買い込み、ヒラメの半身は刺身、残りはコブ〆で翌日へ、カワハギは刺身を肝醤油で、アナゴ、小イカは天ぷら、まめ鯛は干物と、おいしくいただきました。
          

2010/08/20

【Japan】東京のお盆と花火


 一般的に8月15日はお盆ですが、江戸時代から地方出身者が多いため、7月15日に江戸・東京でお盆を済ませ、故郷に帰り8月15日にもお盆を行うという習慣になったようです。今年も8月15日前後のお盆休みの東京は人や車が少なく過ごしやすい街になりました。

 お盆前の8月14日は晴海埠頭で「東京湾大華火祭」があり、お盆後の8月19日には神宮球場で「神宮外苑花火大会」がありました。前者は自宅の南側のベランダから六本木ヒルズで遮られ左半分、後者は西側のベランダから青山ザ・タワーに遮られ左半分の花火しか見えませんでしたが、花火は大きな爆発音とともに光り、上空から花火を見る企画でヘリコプターが頭上を旋回。 目を瞑り、ここが東京でなく死海周辺の国々にいると想像すると、花火とヘリコプターの音はまるで戦場です。8月15日は「終戦記念日」と名付けたいう敗戦の日。その日、外苑前に残った建物はNTTだけ、渋谷まで何もかも崩壊し見渡せたと。赤坂も溜池も焼け野原。江戸時代から東京に在るお寺の住職に伺った話です。 1959年生まれの私には戦争体験はありません。体験を語ることができなくとも、私たちの年代だからこそ未来に対して何かできることがあるのではないか...

 暑い夏ももう少しで一息つけそうです。