2015/11/07

【Japan】弥山(みせん)・厳島神社の紅葉と八木・宇田アンテナ


 グランドプリンスホテル広島の無料宿泊券をいただいたので、11月4日と5日は宮島を訪れました。

 数年前のNHK大河ドラマで主人公になった平清盛が非常に面白かったので、機会があったら宮島を訪ねてみたい、と思っていました。平家は滅びてしまいましたが、地中海を自由に貿易していた古代フェニキア人のような彼のグローバルな感性は、現代の日本のニードに通じるものがあります。
 

 厳島神社の入口ではさっそく平清盛がお出迎えしてくれました。


 東京から広島空港、そして宮島に着いたのは午前11時過ぎで、厳島神社の鳥居は9時の引き潮の状態から徐々に満ちている状態でした。これから弥山の頂上に到着し、下山は午後3時か4時頃を予定しています。ちょうどそのときは満潮ですが、潮の満ち引きを神社のデザインに取り入れる独創性には唸ってしまいます。


 トップの写真の紅葉谷公園を通過すると、弥山の登山口です。標高535mの低山ですが、写真のように急な階段の連続なので、結構ハードです。


 1時間ほど階段を登り、瀬戸内海を見渡せる場所で、名物のあなごめし弁当で昼食。


 頂上には「二十四丁」とあり、神奈川県の大山のように弥山も修行の山なのでしょう。


 山頂から360°海という光景は珍しいものです。この写真を拡大すると真ん中付近に小さく厳島神社の鳥居が見えます。


 下山すると、干潟に徐々に海水が満ちてきて、流れ込んでくる小魚を鳥たちが狙っています。厳島神社の干潮と満潮の両方を楽しむには弥山のトレッキング時間はベストでした。


 表参道で名物の焼き牡蠣(右側が小さい...)と牡蠣フライを食べました。


 宮島からの夕日を眺めつつホテルに向かいます。海岸に建つグランドプリンスホテル広島はフェリーが直接立ち寄るので宮島観光には便利なホテルです。


 

 翌日は広島観光で、名物の小イワシ刺と生タコをいただきました。市内を歩く途中に百貨店などの魚屋さんを除いてみましたが、小イワシは岡山、生タコは三原から水揚げされているようです。ウマヅラハギなども瀬戸内海でよく獲れるようですね。


 お好み村近くの広島焼きで〆ました。
以前、出張で広島をしたとき、地元の同業者とたっぷりお酒を飲んだ後の〆でラーメンなどの汁ものでなく、広島ではお好み焼きを食べる習慣があることを聞いて驚いたことがありますが、広島焼きは見た目より結構満腹になるものです。


 原爆投下の目印となった相生橋から写した原爆ドームですが、あいにくの小雨で暗く映ってしまいました。

 

 広島平和記念資料館で見かけた実物大の原爆です。頭部には原爆が爆発する高度を測定するための八木・宇田アンテナがあります。

「八木アンテナ開発当時の1920年代の日本の学界や軍部では、敵を前にして電波を出すなど暗闇にちょうちんを灯して位置を知らせるも同然だと考えられ、重要な発明とみなされていなかった。

 このことをあらわす逸話として、1942年に日本軍がシンガポールの戦いでイギリスの植民地であったシンガポールを占領し、イギリス軍の対空射撃レーダーに関する書類を押収した際、日本軍の技術将校が技術書の中に頻出する “YAGI” という単語の意味を解することができなかったというものがある。技術文書には『送信アンテナは YAGI 空中線列よりなり、受信アンテナは4つのYAGIよりなる』と言った具合に “YAGI” という単語が用いられていたが、その意味はおろか読み方が『ヤギ』なのか『ヤジ』なのかさえわからなかった。ついには捕虜のイギリス兵に質問したところ

『あなたは、本当にその言葉を知らないのか。YAGIとは、このアンテナを発明した日本人の名前だ』

と教えられて驚嘆したと言われている。」

 Wikiにはこのような逸話がありますが、日本人の評価能力の欠如を如実に表す逸話ですね。しかも、原爆に搭載されていたなんて...


 秋の広島を楽しんだ2日間でしたが、最後は木漏れ日溢れる紅葉谷の写真でしめくくりたいと思います。

2015/10/03

【Indonesia】バリ島のロックバーとインドネシアの9月30日事件

 ANAのマイルとマリオットホテルのポイントの有効期限が切れそうになったので、その両方を満たすバリ島に9月26日から10月1日まで行って来ました。宿泊したのはAYANAというマリオット系列のホテルです。


 この写真はAYANAの敷地内にある海辺の絶壁に沿った小規模なプールから見た夕日です。


 AYANAもそうですが、マリオットやハイアットなどの欧米のホテルは広大な敷地内にすべての施設を揃え、その中で消費のすべてを完結させようとするタイプのものが多くあります。AYANAまで行く道にはこのような風景があり、その敷地内と外とのギャップに戸惑いを覚えます。


 AYANAは敷地内に海辺の岸壁にバーが造られていてバリ島の新名所になっています。海辺の岩を切り造られていることから、このバーはロックバーと名付けられ、近隣のホテルからもロックバーでカクテルを飲みながら夕日を眺めたい人達で夕刻は満員になります。


 私たちも行きましたが、アジア人の人達がうるさく、カクテルも雑なので、ゆっくりカクテルを楽しむ、という雰囲気にはなりません。


 バーカウンターから夕日を眺めてすぐに退散しました(笑)
 話のネタとしてロックバーに行った、ということならいいのですが、ゆっくりと夕日を眺めたい方は、ロックバーの隣にあるAYANAの宿泊客しか入れない岸壁のプールがお薦めです。ここでカクテルを注文し、10ペアほどしかないサマーベットで静かに夕日を眺めるのが穴場です。


 AYANAの宿泊者のみの贅沢な時間と空間ですが、隣のロックバーの喧騒から離れ、バリ島のひと時を楽しめます。


 バリの食事はナシゴレン、ミーゴレンなど有名ですが、ナシチャンプルが美味しいですね。また魚を焼いただけのイカンバカールも有名です。ジンバランという地域の海辺に並ぶレストランでイカン(魚)バカール(焼く)をいただきましたが、焼き方が大胆です。


 魚を選び注文できるので、イカ、エビ、マナガツオを注文しましたが、高価なマナガツオがこんな具合に焼かれてしまいます。
 スペインの海辺でも魚を単に焼く料理がありますが、ふっくらと旨味を皮で閉じ込めるように焼かれていて、イカンバカールのように焦げ焦げではありません(笑)


 ここでも夕日を見ながらの食事で、夕日は美しいのですが、騒々しい...観光地なので仕方ないですね。丸々1匹のマナカツオを自分で串で刺しふっくら焼いて食べたかった(笑)


 久しぶりに軽く2ダイブしましたが、ログブックで確認すると久米島以来(久米島の沖縄県海洋水研究所と新産業)2年ぶりの41回目と42回目になります。はじめて泳いでいるウミガメを発見しました。

 5日間の滞在中にTVのニュースでインドネシアの新幹線が中国に決定した、というニュースが流れていました。帰国後調べると日本政府に伝えられたのは9月29日だったようです。帰りの飛行機にあったジャカルタ新聞にあったインドネシア研究家の倉沢愛子さんの記事で、今年はインドネシアの「9月30日事件」のちょうど50年目であることを知りました。


9・30 世界を震撼させた日――インドネシア政変の真相と波紋
 一九六五年一〇月一日未明に、ジャカルタで軍事政変が勃発、半年後の一枚のスカルノ大統領が発したとされる命令書により、権限はスハルトへと移った。中国では文化大革命が起き、東南アジアにアセアンが成立し西側反共主義陣営の結束を固め、日本は大規模な経済進出の足掛かりをつかんだ。政変を主謀したとされたインドネシア共産党は非合法化され、党員は逮捕され殺され政治犯にされた(50万とも100万とも言われる)。国内全土に大虐殺の嵐が吹き荒れ、インドネシア経済を担っていた華僑への迫害がエスカレートしていく。膨大な一次史料と先行研究を踏まえ、いまだ謎に包まれた事件の真相を追究し、インタビューと現地取材を通して、事件の波紋の全体像を活写する。」

 「9月30日事件」でインドネシア共産党が一掃され日本が一気にインドネシアに進出、その50年目が今年の9月30日。そして、中国の新幹線受注の発表が50年後の9月29日。インドネシアに合法化された共産党はもうないと思いますが、今回の商談は中国共産党の勝利になったのですね。

 今回のバリ島は旅のスケジュールの関係で、偶然インドネシアの歴史を知ることができ、非常に参考になりました。

2014/09/13

【Japan】伊豆下田と吉田松陰

 伊豆下田の下田プリンスホテルの無料宿泊券があったので、8月初旬の猛暑の時期に、9月11日と12日に伊豆下田の海(お盆過ぎでもクラゲがでない)でシュノーケルとか海水浴でもと予約。ところが、今年の夏は例年と違い8月下旬に夏の猛暑は終わってしまい、涼しい伊豆下田の海を楽しむことになりました(笑)。

まずはレンタカーで修善寺に到着。
平日のためか人も少なく、1時間ほど修善寺の町を散策。 


 石川さゆりの歌で有名な浄蓮の滝へ移動。
川にはアマゴがたくさん泳いでいましたが、
有料の釣りサービスもあり、暑い日に一日楽しめそうな滝です。
(ちなみに、カラオケで「天城越え」は必ず歌う)




 道の駅「天城越え」で、生ワサビをおろしかつお節と醤油で食べる「ワサビ丼」を食べました。「孤独のグルメ」で井ノ頭五郎が食べていた店は河津町にありますが、今まで「吉田類の酒場放浪記」などで紹介された店を訪ねてガッカリすることが多かったので、今回は普通の道の駅の食堂で食べました。
 シンプルだけど美味しいワサビ丼は自宅でも食べたいとおみやげにワサビと茎を購入。茎はさっと茹でて三杯酢で漬け込む予定。



 下田の街に到着したので、スーパーマーケットに入ってみました。どこの国に行っても、その街のマルシェ(市場)やスーパーマーケットに行く習慣があり、今回も売っているものや値段をチェック。さすがに金目鯛は中のサイズが1匹まるごと1,480円と安い。渋谷市場だと3,000円以上のサイズです。
 さて、ホテルに到着し、プライベートビーチに出てみましたが、外人家族が2組海辺にいて、遠くにダイヤモンドヘッドのような小さな半島があり、まるでワイキキビーチ(笑)。
  一応、シュノーケルの道具なども持参したのですが、波で砂が舞っていたので、ビーチでゴロゴロするだけにしました。波の音を聞きながらゆっくりするのも心地よいものです。



 夕食は下田の街で居酒屋に入りましたが、金目鯛の煮付け、生桜えびなど地元の料理を注文。どうやら観光客相手の店のだったようで刺身はイマイチでした。もう少し路地裏とか探すべきだったと思いましたが、長時間の運転で疲れており、近場で妥協してしまいました。


 その日は満月の光が海辺に反射し見事な情景。スマホで撮ったので雰囲気は伝わりにくいですが、満月の薄明かりと波の音、昼間とは違う心地よさです。

翌朝も朝食を済ませ海辺でゴロゴロ。


 黒船の遊覧船に乗り、解説を聞いていたら吉田松陰がアメリカに行こうと小舟を漕ぎだした弁天島が湾内にあることを知りました。吉田松陰は最初は横浜から黒船に乗りアメリカに行こうとしたらしいのですが、うまく行かず下田から再挑戦しました。下田で1週間ほど身を隠していた家が再現されていたので、さっそく訪ねてみました。

 匿った医者 村山行馬郎邸(吉田松陰寓寄処)です。


 この近辺は温泉が自然に出たらしく風呂は温泉。熱いお湯なので右側にお湯を注ぎ真ん中の板で仕切り、板の下部の隙間から冷めたお湯が左に移る仕組みですが、施工業者が再現するとき、上面からお湯が移動すると勘違いしてしまったとのこと。


2階の小部屋が身を隠していた部屋で、
当時は窓の外に木が茂っており、
隠れやすかったとのこと。

漢文の嘆願書を書く吉田松陰。



 この弁天島から黒船ポーハタン号(最初は弁天島から一番近いミシシッピー号に着いたが、漢文の嘆願書が読める通訳がいるポーハタン号に移動)に漕ぎつけて便乗を懇請したが断られ、自首した吉田松陰ですが、これが無事乗船できたら、アメリカに渡り、帰国したら大学でも作ったのでしょうか。。
 密航に失敗したことで、その志は9年後の「長州ファイブ」 に受け継がれたが、吉田松陰は自首した段階で弟子たちが受け継ぐことは予測しており、自分自身が渡米し完結してしまうより発展するだろうと考えた。。。とも思いましたが、単に純粋さ故の行動だったのでしょうね。


 西伊豆の田子地区ではカツオを塩付けにして乾燥させた潮カツオという正月料理があります。新潟の村上の塩引鮭と似たような作り方ですが、お茶漬けにしたり、うどんやパスタにして食べます。今回は西伊豆の堂ヶ島(田子漁港)に立ち寄り、名物の潮うどんを食べて帰りました。

 今回の旅は、偶然、吉田松陰のStart upの最終行動に触れることができたのは有意義でした。調べてみると吉田松陰の密航から自首という行動は陽明学の「知行合一」から来ているという説もあります。

 いずにしても純粋な人だったのでしょうね。

2014/07/29

【Japan】長野では小中学校の登山コース 霧ヶ峰と蓼科山

 梅雨が明け夏が本格化すると2か月ほど寝不足の日が続き、疲れが溜まります。熟睡と爽快感を求め7月27日、28日と霧ヶ峰(車山)と蓼科山に行って来ました。

 朝7時に東京を経ち、午前10時ころから車山周辺を歩く予定でしたが、中央道の事故渋滞で1時間ほど遅れコロボックルヒュッテの駐車場に到着です。ところが、駐車場に着いた途端に激しい雨。車の中でコンビニ弁当を食べて雨が止むのを待ちましたが、ハイキング途中の人たちはずぶ濡れです。


 30分ほどで雨は納まりましたが、もう昼になるので車山周辺を1周する5時間ほどのコースは中止。とりあえず八島湿原まで車で移動し、1時間半ほどで1周するコースを選択。

雨上がりで湿気がすごくまさに湿地帯。

正面の車山の頂上には気象庁の観測所。

八島湿原からコロボックルヒュッテに戻り車山頂上を目指します。

頂上には八島湿原から眺めた気象庁の観測所。

車山山頂からの景色はWindowsXPのようです(笑)


 素泊まり宿にチェックインし、白樺湖畔の「すずらんの湯」で疲れを癒します(白樺湖に写る夕日と釣り人)。湖畔の蕎麦屋で夕食を済ませ、翌日のために早めに就寝。


 蓼科山は標高2,530mで、ワイフが1年ぶりのトレッキングなので、なるべく楽なコースを選ぼうと「蓼科山七合目からのコース」を選択。このコースは小中学校の学校登山でも利用されるコースとのこと…

 敷き詰められたように苔が一面を覆う緩やかな山道を歩きます。

しばらくすると石がゴロゴロの急な山道へ。

1時間10分で到着する予定の将軍平の山小屋蓼科荘へ到着。
(ここまで2時間)


 ここからがさらに急な岩場の山道。両手両足で這うように登るのですが、「小中学校の学校登山コース」ということが信じられない…別の団体のおじさんも「辛い、リーダーを恨む!」とぼやきながら登っていました(笑)

 40分の予定が1時間で山頂ヒュッテに到着。
この山小屋は個室も完備しているようです。

 岩がゴロゴロの広い山頂から車山と白樺湖の眺望。
気分爽快!!

遠くは茅野市?


 霧や雲がなければ南八ヶ岳の峰々、南アルプス、中央アルプス、乗鞍、浅間連山と、360°の大展望が可能な山頂です。
 将軍平の蓼科荘で昼食をとり、アイスクリームと豚汁、コーンスープなどをいただきゆっくりと休憩。七合目に到着したのは午後3時前だったので、3時間のコースを5時間半かかった訳です。しかも、今まで登った中で最も急な山道。小中学校の学校登山コースとありましたが、長野の小中学生は逞しい(笑)

2日目の温泉「小斉の湯」にむかう途中の南八ヶ岳の峰々。
見事な快晴で、八ヶ岳が迫ってくるようでした。


 小斉の湯の眺めのよい露天風呂が最高!!
 最後の帰り道で南八ヶ岳の峰々が見送りしてくれました。360°の峰々は長野県ならではの景色ですね。